リレー随想
2019/10/05
No.196 2019年11月号 2016年卒 蓼沼正悟
「選択の自由」人様に語れるようなことがあまりないような人生を送って参りましたので、このリレー随想のお話をいただいたときには何を書こうか少し逡巡しました。しかし、せっかくの機会なので私としては珍しい、かつタイムリーな「人様に語れるような話」を書かせていただきます。
私は、生まれこそ違うものの、物心ついた頃から群馬で暮らしていました。郷土愛という面では、少々希薄で友人から白い目で見られることもあるほどですが、20余年分の愛着はあります。家族も仲間も、その多くは会おうと思えば会える距離にいて、現状に不満を抱くこともありませんでした。
その故郷を、25年目にして離れることにしました。この随想が掲載される頃には、私は鹿児島県にいます。勤め先の転勤ですか、とよく聞かれるのですが、理由としては、「結婚を前提にお付き合いしている人が鹿児島にいるから」です。大学を卒業してから3年半勤めた会社は辞職し、他に誰も知らない土地で暮らしていくことを決意しました。
この話をすると、皆から同じような質問、場合によっては詰問を受けます。相手方に群馬に来てもらうわけにはいかないのか、等々割愛しますが、読んでくださっている皆様も想像できるようなことです。その度に、はっきりと自分の決心は揺らがないことを伝え、しぶしぶとでも納得してもらう、というのを繰り返したこの数ヶ月です。
統計を採ったわけでもないのでわかりませんが、恐らく反対が多めで賛否両論あると思います。頼れる人もいない、仕事も一から、環境も全く違う、短絡的で考え足らずだと思われても仕方ないのかも知れません。私自身、少しもそう思わないわけではありません。家族や親戚や仲間への罪悪感、未来への不安感も大いにあります。それでも、揺らぐことが無かった決心をひとまず信じてみようと思います。仲間たちが、馬鹿なやつだと笑ってくれれば冥利に尽きます。
ところで、「選択の自由」というのは人間が持つ最大の自由の一つだと考えています。いくつもの選択肢の中から一つをとることもできれば、時に自分では選ばないで人任せにすることもできます。しかし、時間や信条や経済や他のあらゆる要因によって、選択を余儀なくされる場合もあるでしょう。未来のことは誰にもわからず、正解が目に見えることは無くても、否応なく、その後の人生を左右するような選択を迫られた時、するべきこととは何でしょうか。誰のせいにもできない選択は、後悔しないために、絶望しないために、考えを尽くさなければならないように思います。
滅多にない機会にのぼせて戯れ言を述べてしまい恥ずかしい限りです。しばらくの間、鹿児島で台風におののきながら、身骨を砕きつつ、楽しくやっていきたいと思います。
(鹿児島県在住)
2019/09/10
No.195 2019年10月号 2016年卒 桐井将暢
「余所者暮らし」大学時代から愛用している私のノートパソコンを久しぶりに開いてこの随想を書いています。大学入学時に購入したこのパソコンは、ゼミでの研究活動や映像編集のために酷使され、今では時折文字変換に5分を要する代物のため、なるべく長文は控えたいと思います。
私は高校時代まで北海道札幌市で育ち、高経では放送研究会に所属。現在は長野県のケーブルテレビ局に勤め、日々ローカルニュースの取材をするほか、生中継のディレクターに、野球の実況アナウンサーなど、何でもやる中小企業特有のスタイルに揉まれながら仕事をしています。
生まれ育った北海道を離れ、「内地」での生活も8年目となりました。群馬のもつ煮も長野の山賊焼きも大好きですが、やはり「道産子」の私はジンギスカンが恋しくなります。
大学4年、就職活動の中で完全に東京アレルギーとなった私は、新宿駅に降り立つことが何よりの苦痛となり、北海道企業の就職説明会で東京へ行くことさえままならなくなりました。そんな中でやっと就職した今の会社ですが、この縁もゆかりもない長野県に来てからは、「どうしてここで働いているの?」という言葉を飽きるほどかけられます。同僚もほぼ全員地元出身。県内の高校を卒業後、東京の私大を卒業してUターン就職というのが一つのパターンになっている中、わざわざ余所からやってきて新卒で長野県に就職する私は完全に異端者のそれでした。
長野県に限らず、「あそこは閉鎖的だから…」といった言葉を聞きますが、特定の場所が開放的だったり閉鎖的だったりするのではなく、既存のコミュニティへ単独で踏み込んでいくことや、コミュニティがたった一人の異端者を受け入れることが難しいだけなのだと思います。
そこで思い出したのは高経のこと。群馬県外のあらゆる土地から集まった仲間とのふれあいの中に「余所者」は存在せず、なぜそこにいるかを互いに理解していたように感じます。同じような仲間がいることが何とも心地よく、地元北海道を離れたことへの不安を消し去ってくれました。もしかすると東京の大学へ進んだ同郷の仲間も同じことを感じたかもしれません。
皆と同じであることに安心を得るのはごく当たり前で、誰も「余所者」になりたくはありません。しかしそのためには生まれた場所か、同じ境遇の人が集う場所にいなくてはならないという心理的な制約が、東京一極集中や地方の過疎化を生んでいるのではないか?
そんな偉そうな仮説を結果的に長文で披露し、今日も「余所者」として信州の地で働きます。
(長野県在住)