リレー随想
2020/12/13
No.209 2021年1月号 1987年卒 川井 朋章
「大学時代の思い出すこと」旧姓加藤岡さんからバトンを受けました1987年卒業、群馬県高崎市在住、応援団に所属していた川井朋章と申します。加藤岡さんとは語学のクラスが同じで、また体育会本部と応援団ということで今回指名を受けました。
私は学業優秀な加藤岡さんと違い、学業は不振でした。1年次の田村先生の英語、2年次の三瓶先生のドイツ語、そして1年次の高橋先生の体育を4年生まで履修していました。ほぼ毎日、大学へは行っていましたが、行くのは応援団室までで授業にはほとんど出ていませんでした。4年になり、就職も決まって、これらの必修単位を取らなくては卒業できないという危機感から、私は4年の時が1番授業に出ていたと思います。応援団の4年生が1年生と一緒に体育の授業を受けることはちょっと恥ずかしい気もありましたが、楽しくサッカーをしたこと等を覚えています。
また、語学では同じ試験を受ける応援団後輩の下宿で、試験前日の勉強を徹夜でやったことを思い出します。1年生の後輩達は、授業のノート写しと何処が試験に出るのかとの情報を入手して、私の単位履修に全面協力してくれました。(先輩が留年して、応援団にもう1年残られてはたまらないとの考えがあったからでしょう。)こんな私でも大学時代に1番勉強したのが楠ゼミでの卒論作成でした。前橋の県立図書館に何度も通い作成に苦労したことを思い出します。当時の応援団の先輩方が、代々入っていた玉木ゼミ(卒論がない)を、どうして選ばなかったのか後悔したものでした。
ラグビー部小林敏の随想にあった恋文横丁にも行きましたが、応援団は柳川町のシャリバリという店に諸先輩方を含め代々飲みに行っていました。ママは(年齢不詳:当時40代くらいかな?)自分の息子のように我々を可愛がってくれました。(特に飲み代を安くしてくれた!)卒業後もたまに飲みに行きましたが、学生時代に安くしてくれた分まで請求されています。卒業後20年、30年たってママも相当の年齢のはず!もママは当時と変わらない程の美魔女です。(店が薄暗いせいもあるが!?)飲み屋の栄枯盛衰は常で恋文横丁は疾うにありませんが、パスタの町を標榜する高崎はシャンゴ、ボンジョルノ、シャクナゲ等懐かしいお店は今もあります。高崎にお越しの際はぜひ寄ってみて下さい。
応援団では慈光通りで毎年末募金活動をしていましたが、多くの方々が募金に協力してくれました。「応援団は募金で集まったお金で飲んでいるんじゃないか?」なんてからかわれたこともありましたが、募金はちゃんと高崎市の社会福祉協議会へ持参しています。
人格が未成熟であり、人生において最も吸収力と感受性の高い時期である学生時代の経験は、私にとって非常に新鮮であり、私の人格形成に大きな影響を与えたものとなりました。
昨年、高経大応援団も加盟する全日本学生応援団連盟の同期会が新潟は越後湯沢で行われ、卒業後33年振りに連盟加盟校OB十数名が集まりました。北は北海道帯広(専修大)、南は九州宮崎(上智大)から参加した者もあり、学生時代の情熱が未だ冷めやらぬ者がいることを実感した次第です。そして、またの再会を誓い合いましたが、コロナ禍の中、今年は中止になったことが非常に残念です。
最後にこのリレー随想にあたり、母校と応援団に対する自分の気持ちを再確認することができました。加藤岡さんに感謝致します。
そして次のリレー随想は、応援団の同期であり、苦しきことも楽しきことも供にした、高野憲一を指名します。
(高崎市在住)
2020/11/03
No.208 2020年12月号 1987年卒 小林 雅子
〜徒然なるままに〜笹木くんからバトンを受けました私は、1987年卒業、体育会本部で庶務をしておりました、旧姓加藤岡、今は小林と申します。
18歳で出身の千葉県を離れ、高崎で一人暮らしを始めた時は不安でいっぱいでした。あの時ほど家族に守られていた、甘えていたな、と自覚したことはありません。父と下宿を探し、お寺が大家さんの一軒家、今でいうシェアハウスに愛知県と岩手県からきた女子2人と2年間同居していました。
一日の大半をテニスコートや学食で過ごし、津久井先生の時事英語では“ニューリーダー”を“新しい指導者”と訳し「新聞を読んでいないのか!」と怒られ、「新聞とってません!」と応じたことが忘れられない思い出です。和訳の間違いを認めることが悔しくて先生に反抗的な態度をとったんだなぁ。
何とか進級しましたが、第一志望のゼミに落ち、他を受けていなかったので路頭に迷っていたところ、部の先輩に救っていただきました。ゼミでは、当時はおそらく大学始まって以来の女子の方が多い学年でした。就活の時期にはゼミの北島先生が「女子学生が夢のようなことばかり言って就職できるのか」と泣いていた、と風の噂に聞いたものです。その先生も昨年亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。
卒業後は男女雇用機会均等法施行後の1期生として就職し、システム開発の部署で様々な業種の統計などのお手伝いをしました。当時は、お客さんの男性には頭ごなしに「あんたみたいな若い女はダメだ!課長を呼べ!」とパワハラ、社員旅行ではセクハラ、と今なら訴えたいような扱いに耐えることもありました。
その後、結婚し、出産を機に退職、子どもの手が離れ、再就職し、今にいたります。
思えば、いつも家族や先輩、同級生、後輩、職場の人など周りの人に助けられています。感謝しかありません。今は生活の中心が仕事となっていますが、コロナ禍で会議はオンライン、事業の縮小などで人と直接関わることが減り、なんとも寂しく感じるのは私だけではないでしょう。
そんな中、先日電車の広告でおなじみの「FACTFULNESS」を読み、自分の思い込みや先入観がいかに間違った判断をしてしまうかを改めて感じることができました。コロナ禍で自分は何をどこまでしていいか考えるためのヒントにしたいと思いました。最近読んだ本の中では一番お勧めの本です。
最後に、笹木くんからは癒し系と紹介されましたが、とんでもない!迷子系です。空の巣になり、ペットに先立たれ、想定の上をいく夫(高経の同級生です)に手を焼く、まだまだ迷いの多いオバチャンです。55歳ですけどね〜。
次の方にはちゃんとした大人の、頼れる元応援団長、川井くんにお願いしたいと思います。
(埼玉県宮代町在住)