リレー随想

2020/09/01
No.206 2020年10月号 1987年卒 小林 敏
「恋文横丁で何を考えていたか」

和田勇人先輩、随想執筆お疲れ様でした。

こんにちは。和田さんと同じ下宿、樫の木荘で学生時代を過ごした小林敏と申します。

学生の頃、高経大の方面から高崎中央銀座のアーケードに入ってすぐの左手に恋文横丁というカラオケパブがありました。中央にステージとカラオケセットがあり、各テーブルには歌本と小さな紙が置かれていて、自分の歌いたい歌を歌本で選び小さな紙に書き、ボーイさんに渡します。しばらくすると、「○番テーブルの○○様、曲は○○〜」という具合で呼び出しがあり、いそいそとステージに上がり歌います。樫の木荘は高崎警察署の裏あたりにあり、街中に近かったので、夜な夜な樫の木荘の先輩方と店に繰り出しました。平日は客もまばらで、いつも必ずいるご夫婦が、ステージの前でふたりでダンスをしていました。
そんな恋文横丁も、週末は違いました。特に新年度が始まった4〜5月は、100席ほどのフロアが合コンをする学生グループで満席になります。カラオケを歌い、ボーイさんが店内を忙しく走り回り、いたるテーブルで乾杯やら歓声やらが聴こえ、映画のワンシーンのようでした。

そんな中で、私は何を考えていたのかというと、何も考えていませんでした。唯一考えていることは、素敵な女性とお近づきになりたいということだけでした。学生の頃、こんな職業につきたいとか、こんな人生を送りたいとか立派な目標、夢はありませんでした。しかし、人生の後半の後半に入った今は、思うことが多くあります。

残された時間は決して長くはありませんが、でも、まだ、終わった訳ではありません。今こそ、自分は何をしたいのかをよ〜く考え、実践したいと思います。ちなみに、恋文横丁で抱いていた唯一無二の夢は、努力の甲斐あり、その後の人生で、叶えることができました。

次は、共に活動した体育会本部で代表幹事を務めた笹木辰也さんにバトンを繋ぎます。
(神奈川県鎌倉市在住)
2020/08/04
No.205 2020年9月号 1986年卒 和田勇人
「ピンチはチャンス」

大先輩である尾形さんよりバトンを頂戴いたしました、1986年卒の和田と申します。尾形さんからの依頼を喜んでお受けいたします。

学生時代は「樫の木荘」に下宿しておりました。比較的個性的な学生が多く、非常に楽しく学生時代を過ごせたような気がしています。
テニス部、ラグビー部、ワンゲル部等、様々な部活に所属する合衆国のような下宿でした。当時、家賃\13,000〜\18,000の共同トイレ・風呂なし。皆、\30,000〜\60,000の仕送りでの生活。バイトで飲み代の為に汗を流し、パチンコ、麻雀でのコミュニケーションに涙を流しておりました。
そんな学生生活の中で、多くのバイトや、友人との生活、部活での経験が大きく、上手くいかないことが思い出になり、実力になったように思います。お陰で社会に出てからも、何が起きても動じず、楽しんで仕事が出来ている様な気がしています。

現在、コロナ禍での非常にピンチな状況下ではありますが、高経大で培ったビジョン・マインドを駆使し、「ピンチはチャンス!」を実行する絶好の機会が与えられていると考え、今こそ実力を発揮し、パワー全開で乗り越えていきましょう。
(自分に言って聞かせているのかもしれません。)

次回は樫の木荘の後輩である、小林敏君にお願いしたいと思います。

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