リレー随想
2020/07/16
No.204 2020年8月号 1984年卒 尾形茂樹
「悠学荘」大学、勤務先の先輩である青柳さんからバトンを頂きました、1984年卒業の尾形と申します。学生当時に住んでいた下宿に関することを書きたいと思います。
学生時代は下小塙にあるプレハブ造りで、真ん中に廊下を挟み左右に四畳半の部屋が5つある「悠学荘」という名の下宿に住んでおりました。部屋には私名の表札があり、裏面には1か月前に卒業された「和田悟」さんの名前が書いてありました。そのことを何故かずっと覚えていて、就職して数年後同じ職場に同窓の和田さんという方が転勤で来られ、和田さんに悠学荘に住んでいたことを話したら、まさにあの「和田悟」さんで、同じ下宿に同じ部屋、同じ会社で同じフロア勤務、この偶然は凄すぎる、とお互いに抱き合わんばかりに驚き喜び合いました。これがご縁でその後飲み会や麻雀など大変親しくして頂きました。残念なことに和田さんは10年ほど前に他界されましたが、今でも時々和田さんを思い出します。
悠学荘の玄関を出ると辺りは田んぼで視界が抜けており、左手に雄大な榛名山が望めました。体育会の新歓合宿、マラソンの榛名湖、榛名富士、榛名神社、経大生なら一度は行ったことがある心の郷里の山です。4年間眺めていたこともあり、今でも大好きな山で、毎年ドライブに行きます。榛名神社は参道は当時の趣のままですが、平成17年に国指定重要文化財になり、社殿は色彩を施され鮮やかになっています。頂いたお札は現在私の執務室の壁に掛けてあり、毎朝拝礼し、今でも見守って頂いております。
ドライブの途中、何度か悠学荘の所在の確認をしましたが、当時のままで、5年ほど前は学生ではない人が住んでいましたが、昨年は建物はあるものの、遂に人は住んでいないようでした。いつかは取り壊しされるのでしょうが、ドライブのついでにいつまでも所在の確認に行きたいと思っております。
(埼玉県在住)
2020/06/17
No.203 2020年7月号 1977(昭和52)年卒 青柳繁良
「はじめての転勤」同期でサッカー部の相棒の石山信博君から引き継いだ随想リレー203番目ランナーの青柳です。卒業以来三扇会と一切関わりを持ったことのないわたくしなどが、投稿していいのかと思いましたが、石山君からのご依頼でしたのでやむなくお引き受けさせていただきました。
勤務地は、初任地仙台→福岡→横浜→東京→(単身赴任 堺→福岡)→東京→八王子→品川(子会社出向)→子会社転籍→海老名(親会社再雇用)と異動があり全国を渡り歩きました。
はじめての転勤は、晴天の霹靂、福岡でした。それまでの人生で初めての九州まったく未知の世界でした。赴任し前任者と早速焼鳥で初めての焼酎をしたたかに飲みながら福岡の状況の説明を受けました。アスファルトが柔らかくなるような福岡の暑さと前日の飲み過ぎで、翌日の出社の辛かったことが、懐かしく思い出されます。
仕事で求められる結果は、仙台でも福岡も同じですが、仕事の進め方や優先順位には大きな違いがありました。仕事の進め方がなかなか思い通りに変化しない現実に悩みました。その地その地で先輩諸氏が様々な改善を行い後輩社員へ仕事の進め方を伝承してきた歴史があり、現状の仕事の進め方で問題ないと思っているので返事はいいのですが、実際の変化には繋がらないのは当然です。
山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」をどこまで実行できたかわかりませんが、自分自ら行動し求める成果が出る事を実証しようと努力しました。少しずつではありますが理解され改善される状況を体感して達成感がありました。
それぞれの地で、いろいろな人と関わり合い、楽しいこと、苦労したこと、様々な経験をすることができました。無事にここまで勤務してこれたのも大学時代の諸先輩やサッカー部の仲間たち、アルバイトで関わった皆様との出会いがあったからと思います。
サッカー部の先輩の皆様、速水下宿で一緒に生活した皆様、アルバイトで共に汗を流した皆様、その節は大変お世話になりましたありがとうございました。皆様元気ですか、再びお会いできる機会がある事を期待しております。
コロナは、まだまだ大変そうですが、自らガードをかためてコロナパンチに当たらないように自己責任で頑張りましょう。HMDです。(手洗い、マスク、デイスタンス )
次のバトンは、我が社の企画担当 尾形茂樹さんへ引き継ぎます。
(横浜市在住)