リレー随想
2021/07/28
No.216 2021年8月号 1995年卒 南考浩
「とりあえず こんにちは しようか!」中島先輩からバトンを引継ぎました95年卒の南 考浩と申します。中島先輩には名古屋勤務時代、大変お世話になり今も家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いています。
学生時代、バレーボール部、学園祭実行委員、体育会本部等、貴重な経験をさせてもらい、数多く失敗した経験(酒の失敗が多かったです)は今でも忘れません。そんな学生時代から今でも深く残っているのは、「とりあえず こんにちはしようか!」の当たって砕けろの精神です。
2016年4月14日、上司から突然「君!鹿児島!」と異動を告げられ、しばし呆然としました。入社以来21年間何故か愛知県内勤務の私に初めての県外異動。私の周りだけが異動していき台風の目と呼ばれることもありました。当時、子供は4月中学生になったばかりの1年生の娘と小3の息子。単身赴任ではなく家族を説得して鹿児島連れて行こう!と一大決意をして妻(高経同期)に電話で鹿児島異動を報告したら、子供達の同意があればとの条件付きで南家引っ越しのチャンスを頂きました。「おっと中島先輩に報告せねば」と報告したところ、「おまえ大丈夫か?今、熊本で大変な事になっとるぞ」とコテコテの名古屋弁で熊本地震が発生したことを教えてもらいました。鹿児島異動内示の日が熊本地震発生の日と同日でしたので、毎年4月14日は鹿児島異動の内示と熊本地震を思い出します。
早速、旅行雑誌「るるぶ」の九州各県を購入。子供達にプレゼンをして、渋々家族から了解を得ました。妻のママ友達からの「あんただけ単身赴任で行け!」の重圧をかわし、鹿児島へ家族で引っ越し。妻が鹿児島行きを決定した翌日、子供達に「本当に行くの?」と陰で聞いていたのを見てしまいました。
鹿児島に着任して愕然としました。名古屋で勤務していた部署の1/10の実績の部署でした。名古屋勤務時代は支店でしたが鹿児島は出張所とは名ばかりのマンションの一室事務所。過去、名古屋支店へ連れて行ったことのある息子を鹿児島の事務所へ連れて行って、息子の一言が「パパの会社つぶれちゃったの?」
鹿児島で、焼酎にハマり今では月1本ペースで飲んだことのない焼酎を購入して飲んでいました。11月上旬に鹿児島天文館で毎年開催される「鹿児島焼酎ストリート」へ息子と行って、私が酔いすぎて帰りに息子に手を引いてもらって帰宅した事もありました。ある日息子と交差点で信号待ちしている時、真剣な眼差しで「パパ! 僕真剣に勉強するからお酒止めてくれないかな?」と言われました。まさか息子は父親の会社が潰れてしまって父親が酒浸りになってしまったと本気で心配してくれていたのかと申し訳ないと思いました。
息子の心配とは反対に、鹿児島のお客様は温かく、仕事と関係なくても、焼酎、温泉、子供達の遊び場所等ご教授して頂き、1年で鹿児島県の焼酎、温泉、子供の遊び場所の情報収集ができました。又、徐々に新規のお客様も増え翌年3月には満足のいく販売ができました。鹿児島に着任して半年新規がとれない時期があり、焦りはありましたが、心の根底にあったのは学生時代に培った「とりあえず こんにちはしようか!」でした。学生時代、夜な夜な友人達と中央銀座、高島屋、田町周辺を飲み歩き、知らない人に声をかけて友達になれたり、なれなかったりの経験が数多く、失敗あり、笑いありと良き思い出として残っています。鹿児島で楽しく勤務していたのですが、残念ながら1年で福岡へ異動となり、現在福岡単身勤務しています。場所がどこだろうと新規開拓をする際、今でも「とりあえず こんにちはしようか!」と思い、数多くお客様に飛び込み訪問やアポイントを繰り返し行い商談に挑んでいます。結果は相変わらず失敗あり、涙あり(社会人になって涙の方が多い)で、当たって砕けています。
(鹿児島在住)
2021/07/01
No.215 2021年7月号 1993年卒 中島圭
「大切な時間(トキ)」同期の村井君からバトンを受けました、1993年3月卒の中島 圭と申します。学生時代は、体育会硬式庭球部に所属しておりました。もう卒業して30年近くになりますが、学生時代の事は今でも鮮明に覚えています。
入学当時はまさか自分の人生において、群馬県との結びつきがこれほど大きくなることなど想像もしておりませんでした。出身は愛知県ですが、高校卒業後唯一行くことを許された高崎での一人暮らしが始まりました。当時はまだいろいろと吹っ切ることができず、Z会のテキストを引越し荷物に入れていたことを思い出します。しかしながら入学式二日後くらいでしたでしょうか、三扇会館からでてすぐのテニスコートを何気なく見ていた時、先輩からのお誘いの言葉にどっぷりつかった高経生活が始まりました。すぐさま下宿にラケットを取りに帰り、そのままテニスコートで数時間、そしてその日のうちにからさき食堂でご馳走になり、硬式庭球部部員となったのでした。今だったらあの場所にテニスコートはないようなので部活に入ってなかったかもしれないですし、もしかすると群馬県にいなかったかもしれませんね。
高経生活では様々な思い出があります。硬式庭球部との運命的な出会いに始まり、走って飲んで酔いつぶれたフレキャン。新歓コンパでポーチをなくし、先輩にお金を借りて帰った初めての帰省。(中銀で親切な方に拾っていただき財布、印鑑等全て戻ってきました。)めちゃくちゃしごかれたキツーイ夏合宿。後輩と一緒に受けた土曜一限の唯一落としたドイツ語の授業。中村民法ゼミでは、毎週のようなゼミ後の徹マン。また、在学中にはあらゆる夜景スポットや心霊スポット、また温泉スポットを車で走り回りました。雪道を平気で走れるようになったのも群馬の山々のおかげです。また、ダムの水くみという、都会ではまずありえない変わったバイトも経験させていただきました。とにかく群馬県を隅から隅まで、とことんまで謳歌したと思います。
ただ一つ悔いがあるとすれば、当時の自分自身が非常に甘ちゃんだった事でしょうか。齢を重ねるにつれて、目標や目的がはっきりしている人間は、中身が濃いという事を思い知らされます。中身が濃いという事はそれだけ人生も深くなっていくのだと気づかされます。当時を思い返し、その点についてはもっと頭を使っていたらもっと深い人生を送れていた、とは思いますが今さらなのでぜひ次世代を担う若者に明確な目標や目的を持って行動してください、と伝えたいものです。
さて、新型コロナによりあらゆることへの自粛やリモートを強いられている今の学生には本当に同情いたします。せっかくの貴重な時間がつぶされてしまって本当に辛いでしょうが、とにかく腐らず顔を上げ、前を向いて進んで欲しいと願っています。必ず終息するときが来るので、その時は目一杯学生生活を謳歌して下さい。年を取ってから自分にとって大切な時間(トキ)を過ごせたと言えるように。
私もこのコロナで、妻の実家(桐生市)に帰れない月日が続いています。ワクチン接種が早く終わって大好きな群馬に早く行きたいものですね。
(名古屋在住)