リレー随想

2020/11/03
No.208 2020年12月号 1987年卒 小林 雅子
〜徒然なるままに〜

笹木くんからバトンを受けました私は、1987年卒業、体育会本部で庶務をしておりました、旧姓加藤岡、今は小林と申します。
18歳で出身の千葉県を離れ、高崎で一人暮らしを始めた時は不安でいっぱいでした。あの時ほど家族に守られていた、甘えていたな、と自覚したことはありません。父と下宿を探し、お寺が大家さんの一軒家、今でいうシェアハウスに愛知県と岩手県からきた女子2人と2年間同居していました。

一日の大半をテニスコートや学食で過ごし、津久井先生の時事英語では“ニューリーダー”を“新しい指導者”と訳し「新聞を読んでいないのか!」と怒られ、「新聞とってません!」と応じたことが忘れられない思い出です。和訳の間違いを認めることが悔しくて先生に反抗的な態度をとったんだなぁ。
何とか進級しましたが、第一志望のゼミに落ち、他を受けていなかったので路頭に迷っていたところ、部の先輩に救っていただきました。ゼミでは、当時はおそらく大学始まって以来の女子の方が多い学年でした。就活の時期にはゼミの北島先生が「女子学生が夢のようなことばかり言って就職できるのか」と泣いていた、と風の噂に聞いたものです。その先生も昨年亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。

卒業後は男女雇用機会均等法施行後の1期生として就職し、システム開発の部署で様々な業種の統計などのお手伝いをしました。当時は、お客さんの男性には頭ごなしに「あんたみたいな若い女はダメだ!課長を呼べ!」とパワハラ、社員旅行ではセクハラ、と今なら訴えたいような扱いに耐えることもありました。
その後、結婚し、出産を機に退職、子どもの手が離れ、再就職し、今にいたります。

思えば、いつも家族や先輩、同級生、後輩、職場の人など周りの人に助けられています。感謝しかありません。今は生活の中心が仕事となっていますが、コロナ禍で会議はオンライン、事業の縮小などで人と直接関わることが減り、なんとも寂しく感じるのは私だけではないでしょう。

そんな中、先日電車の広告でおなじみの「FACTFULNESS」を読み、自分の思い込みや先入観がいかに間違った判断をしてしまうかを改めて感じることができました。コロナ禍で自分は何をどこまでしていいか考えるためのヒントにしたいと思いました。最近読んだ本の中では一番お勧めの本です。

最後に、笹木くんからは癒し系と紹介されましたが、とんでもない!迷子系です。空の巣になり、ペットに先立たれ、想定の上をいく夫(高経の同級生です)に手を焼く、まだまだ迷いの多いオバチャンです。55歳ですけどね〜。
次の方にはちゃんとした大人の、頼れる元応援団長、川井くんにお願いしたいと思います。
(埼玉県宮代町在住)
2020/10/02
No.207 2020年11月号 1987年卒 笹木 辰也
「過ぎてしまえば、何とかなってる…それなりに!」

体育会本部OB・OGの繋がりで、小林敏君からバトンを受けた1987年卒、笹木辰也です。
小林君とは、第20期体育会本部で苦楽を共にした間柄です。学生時代はかなりヤンチャだったのに、今では立派になられたご様子(爆笑)。卒業して33年が過ぎ、時の流れを感じ るとともに、それでも当時のままの感覚で気さくに依頼の電話を頂き、ご指名感謝しております。

<学生時代>
初めて親元を離れての学生生活。住まいは、当時「不夜城」と仇名された上並榎町の塚越さん家。(学生専用下宿)とっても面倒見の良い(!?)先輩方が催してくれた新入生歓迎会の夜、一升瓶を口に突っ込まれて前後不覚になるまで可愛がられた(伝統だそうで…汗!そこまでするか…と?)鮮烈な体験からそれは始まりました。

学業はさておき、ほぼ大部分の時間を体育会活動に充てることとなり。(ソフトボール部所属)練習開始時間8:00AMは、当時の学生たちにとっては荒行に匹敵する過酷な試練でした。(苦笑)特に、冬季にグラウンドを吹き抜ける“名物・からっ風”は、ホント身にしみましたねー。
また、4年次は体育会本部で代表幹事を務めさせて頂き、責任を伴った組織の運営と、体育会員同士の調和を図る事に腐心いたしました。学び多き機会であったと思います。
でおかげで、理不尽な先輩指示に耐える訓練と、目標を一つとする組織・チームが団結した時に出る想像以上の破壊力とを体験し、そして何よりもスポーツを通じて苦楽を共にした、生涯の友人を得られたのが大いなる収穫でした。

<社会人>
バブル経済の真っ只中、マネーゲームの世界に興味が湧かず、泥臭いモノ造りメーカーに就職。毎朝慣れない東京の満員電車に揺られ、夏にもかかわらずスーツ着用でお客様回り、夜は断る事の許されない上司との説教付き飲み会。当時のボクは、まさに昭和のサラリーマンそのもの。
学生時代の“超”苦手科目3つ、外国語・数学(数字の扱い)・パソコン操作(キーボードに触れるとジンマシン出るくらい)が毎日の仕事で溢れていて。避けて通れるはずも無く…またも苦行の日々。(あたりまえですけどね!)
入社時「語学はダメです!」ってあれほど言ってあったのに、数年の東京勤務を経てなぜか海外赴任の辞令。以来、仕事人生の半分は海外赴任で過ごす事となり。
「なるほど、世界には日本人と全く違う価値観、習慣、文化を持った人々がいるんだなぁ」と身をもって経験。正直、理解し難い部分も有りつつ“違いを認識し、それを受け入れる”事を学びました。(そうしないと仕事が進まない部分もあって)まさに目からウロコでした。

<結びに>
高経大で過ごした時間は、後の人生においても大きな糧となりました。
その最大の成果(!?)は、同学卒の女性と結婚し現在に至る事。(ソフトテニス部所属,ソフト繋がり!?)前述の「生涯の友」の一人は、何と今の奥さん。体育会イベントで、事ある毎に歌った学歌を共に歌える同志でもあります。(卒業してから一緒に歌った事は無いけど)還暦迎えたら、記念に2人で学歌斉唱でもやろうかな?(笑)

世界中でコロナウイルスが猛威を振るう昨今、お仕事環境を含め、大変な思いをされている方々がたくさんおられます。本当に心が痛みます。まだまだ予断を許さない状況が続いておりますが、近い将来皆様が心身ともに元気で安らかな日々が過ごせる世の中となりますよう、心より祈念申し上げます。
[宮城県仙台市在住]

次回は体育会本部で、癒し系キャラ&笑顔が最高に素敵だった、小林雅子(旧姓:加藤岡)さんに、バトンを引き継ぎます。

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