リレー随想

2021/09/28
No.218 2021年10月号 1998年卒 田中元康
『大学生活で得た財産』

 職場の先輩である宮部さんよりバトンを受けました、1998年卒(学籍番号は94-345)の田中元康と申します。学生時代を振り返ると数えきれないくらい多くの事が昨日のことのように思い出されますが、記憶の大きさで計ると『入学』、『サークル』、『部活』の3つが挙げられます。
 
 第2、第3志望大学に落ち、浪人生活を覚悟した3月下旬、第一志望であった『高経』から郵便で合格通知が来た時の感動と両親、祖母も大変喜び祝福してくれた事を今でもはっきりと覚えています。合格通知が来た翌々日、日帰りで両親と新幹線で高崎の地を踏み、北海道出身の親切な先輩の案内により4年間住む良い場所を決めた事が思い出されます。この数日間は今でも人生で一番嬉しかった時と言えます。
 大学では、サッカーサークル『Light Blue』と体育会系の部活『ローバースカウト部』に所属していました。Light Blueでの財産は、サークル活動を通して得た多くの事の中で一番は『同学年の仲間』です。同学年の仲間とは学生時代、アルバイトや飲み会、旅行等かなりの時間を共有していました。卒業後間もない時期は、定期的に集まる機会もありましたが、東北から関西まで散らばっていることもあり、時間の経過とともに段々と少なくなっていますが、今後も一生涯関わっていきたい仲間です。サークルの仲間は今でも親交があり、遠方でありながら今でも中間地でゴルフをする仲間もいます。

 ローバースカウト部は体育会系の部活であるためそれなりに厳しい面もありましたが、定期的にある合宿が思い出深いです。ローバースカウト部に入るまでテントを担いで寝泊りする経験はなかったですが、意外と楽しく活動出来ていました。その中でも一番記憶に残っているのが大学2年時の夏合宿で行った能登半島です。約1週間かけて歩いて移動し、能登半島の北部約150q位を歩きました。その時、最後まで歩き切ったことと合宿の終盤の自由時間に近くの銭湯で1週間以上ぶりに浸かったお湯に感動しました。合宿後に先輩から聞いた話から、食料の準備や毎晩テントを張る場所、30人以上が歩ける道順の選定、移動中のトイレの確保など準備する事は多岐にわたり、幹部の苦労は大変だと感じました(今とは違いインターネットも普及しておらず、本と現地での情報収集が全ての時代)。
 しかし、2足の草鞋を履くことは難しく幹部となる3年に入るころローバースカウト部は退部しました。この選択が大学時代で唯一後悔していることです。幹部の苦労や時間の制約を嫌い、退部を選択してしまったのですが、この時退部を踏みとどまっていれば違った大学生活や今とは違う社会人生活が送れていたかも知れません。
 社会人になってからもこの選択を思い出すことは多く、苦労から逃げたことを教訓にして、困難に直面したときは逃げることなく向き合って取り組むように心掛けてきました。卒業後、今の職場で20年以上勤続出来ているのは、ローバースカウト部を退部したことを教訓にしていることが影響しています。
 
 『高経』で得た財産は、今振り返ってみると『仲間』と『ローバースカウト部を退部したことから得た教訓』であると思います。大学生活の4年間は大変濃い経験を得られた期間で私にとって人生で一番大事な時間でした。今後も様々な経験を財産に変えられるように日々是精進していこうと思います。
(岐阜県各務原市在住)
2021/09/08
No.217 2021年9月号 1996年卒 宮部良紀
「高崎で触れた優しさ」

 1996年卒の宮部良紀と申します。
 1991年春、「こんにちは! 俺、南って言います。よろしく!」と挨拶してきてくれてから30年、今でも連絡を取り合う仲となった南君からバトンを受け学生時代を振り返ってみました。

 受験生の頃は「白壁・フローリング」の部屋でお洒落な一人暮らしをする大学生の自分を想像していたのですが、実際に住まいとしたのは「土壁・畳」の平屋の一軒家でした。
 皆が「昨日、部活の勧誘で突撃訪問された」と楽しく盛り上がっているのに、私の住む一軒家には新聞購読の勧誘の方がお見えになるぐらいで、一人寂しさと強い焦りを感じていたことを覚えています。
 
 そんな学生生活のスタートでしたが、「郷里から送ってきた味噌、美味しいから!」と料理を振舞ってくれた友人。仕送り日までの食料が底をつき困っていた私に、「帰省するから米貰ってくれないか」とさりげなく助けてくれた友人。体調を崩した私を心配して薬を持ってきてくれた友人。普段は一緒にバカなことばかりやっているのに、困ったときには直ぐに手を差し伸べてくれる友人たちに恵まれ、充実した日々を過ごすことができました。
 当時、月8万円の仕送りをしてもらっていましたが、住居費と水道光熱費を払うと、食費や交際費の全部までを賄うことができずアルバイトも励みました。ただ、アルバイト先に行くには車が必要。大学生協で6回払いのローンを組み教習料を支払い1年生の夏休みに運転免許を取得。先輩から無償で車を譲って貰えたまでは良かったのですが、私の運転の仕方が悪かったのか度々車が故障する。結果、車の維持費のためにアルバイトを益々頑張ることに。
 そのアルバイト先でも大変お世話になりました。速度違反をしたことで簡易裁判所へ保護者と出向かなくてはならなくなったものの、岐阜にいる親の都合がつかずに困っていたところ、「俺がお前の群馬での親になってやる」と一緒に行ってくださったガソリンスタンドの所長さん。
 就職活動中に心配してくださり「3年我慢すれば一人前の寿司職人に育ててやる。うちで働くか」と声をかけてくれた寿司屋のマスターと女将さん。私が落ち込んでいる時には、お店の閉店後でお疲れになっていただろうに一緒に呑んでくれました。
 
 辛いこともありましたが、高崎で出会った人々との交流の日々と多くの優しさに触れた思い出は私の中で特別なものです。今般、このように大学生時代を振り返る機会をいただけたことに感謝致します。日々の生活の中で私自身は相手のことを思いやり寄り添えているか、改めて見つめ直す機会となりました。
 コロナ禍による緊急事態宣言が全国規模に亘り発令され、感染拡大基調が収まる兆しが見えない状況下にあり、又、今夏も集中豪雨による自然災害が各地で起きるなど厳しい状況が続いています。
 コロナ禍や災害の影響を受けられご苦労されている方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、大学在学時にお世話になった地域の皆さま含め、皆さま及びご家族のご無事とご健康、ご多幸を祈念致します。
(岐阜県岐阜市在住)

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