リレー随想
2021/06/01
No.214 2021年6月号 1993年卒 村井大助
「スパゲッティ」2年先輩の村上さんからバトンを受取りました、村井大助と申します。
村上さんとは学生時代に親交はありませんでしたが、同じ会社に就職したのちに連絡を交わすようになり、入社後16年の月日を経て同じ支店に勤務するという僥倖に恵まれ(しかも勤務地は高崎市)、転職した今でもお付き合いをさせていただいております。
さて、随想を記すにあたり、ここ数日当時の想い出に頭を巡らす日々でしたが、テレビでスパゲッティの話に触れる機会が立て続けにありました。及川光博さんがナポリタンを熱く語る番組、南野陽子さんが高校生のときに行ったレストランのスパゲッティのメニューの数がものすごかったという番組でした。お二人のエピソードから私の頭に浮かんだのは、先輩方に初めて連れて行っていただいた、『ボンジョルノ』というスパゲッティ専門店でした。
同世代の方には共感していただけると思いますが、スパゲッティというのはナポリタンかミートソース、食べる場所は自宅か喫茶店という感じでしたので、このときの食文化ショックは相当なものでした。ちなみに出身地は秋田県北秋田市で18歳まで過ごしてます。
スパゲッティ専門店ということだけでもかなりの驚きの中、メニューをみてどんな味がするのかを想像することは全くできませんでした。
ジェノベーゼ カルボナーラ カッチャジョーネ ボンゴレ マーレ ペペロンチーノ ペイザーナ バジリコ ベスビオ トンノ イカスミ
など、発音することすら困難なものもあり、当然選ぶことはできませんでしたので先輩にゆだねたのですが、ノルマをは大盛りを完食することだったのです。なんとかいけるだろうと高をくくっていたのですが、お皿が運ばれてきてその量のすごさには愕然としました。味が違うものでしたらまだしも、一人一皿同じものを食べ続けるというのはいくらおいしい料理とはいえこんなにも苦痛を伴うものなのかという事を学んだ時間でした。
その後、『シャンゴ』のシャンゴ風スパゲッティというメニューにも衝撃を受けたものですが、こちらはメディアの影響もあり今では全国的な知名度になっているように思われます。『おまえはまだグンマを知らない』という映画にも登場しておりました。
高崎市は今でこそパスタの街としての知名度を上げ、お店の数も莫大になり群雄割拠の様を呈しておりますが、今でも私はスパゲッティが食べたくなるといの一番にボンジョルノを選択しており、卒業してから28年経ちましたが、完全にソウルフードと化しております。高崎に住み続けている限り、食べ続けていくことでしょう。
同窓の皆様は当時、ボンジョ派、シャンゴ派のどっちだったでしょうか?
以上、想い出のエピソードを一つ記させていただきました。
(高崎市在住)
2021/05/19
No.213 2021年5月号 1991年卒 村上衛
「大学時代の思い出」1学年上の堀内正治先輩からパトンを受けました村上衛と申します。
高校まで熊本県で過ごした私は第1志望大学に不合格となり、少し敗北感を抱きながら全く知らない高崎の地を踏みました。土地勘もなく誰も知らず、本当に心細かったことを覚えています。
下宿先は大学から少し離れた「樫の木荘」(現在も残っていて絵画教室になっています)。同じ下宿先の軽音楽部の宮脇先輩からアルバイト先としてラーメン店「大連」をご紹介いただき卒業までお世話になりました(現在お店は廃業しマッサージ店になっています)。当時としては時給が良かったこと(時給1000円+業績給)、夜食が充実していたこと、余った餃子は持ち帰り自由で苦学生の私にとっては大変ありがたいバイト先でした。
大学生活を充実させるため、部活は高校までサッカー部だった経験を活かしてサッカーサークルに加入しようと思っていました。しかし、下宿先への引っ越しが完了したある日の夜、私の運命が一変しました。「ドンドンドン!!」ドアをノックする音。恐る恐るドアを開けてみると、男性が2人立っていました。1人は口ひげのやくざ風の人!!!! もう1人はリーゼントでバッチリ決めている人!!!!!
「新入生?俺たち高経の今井と堀内と言うんだけど晩飯一緒に食べない?」そんな出会いから先輩方の魅力に引き込まれて応援団に入団することに・・・。
応援団の活動通じて、OB先輩諸兄、同期、後輩たちとの交流が図れたと思います。学園祭の実行委員も務め、大学の中心的役割が担えたのは大きな財産です。あの日、あの時、今井先輩と堀内先輩が訪ねて来なかったら・・・。全く違う大学生活になっていたかもしれません。
今年で大学卒業して30年。大学生活4年間で家内と知り合い、結婚し、高崎に家を建て長男、長女に恵まれ昨年は孫も生まれました。気が付けば生まれ故郷の熊本よりも群馬の方が長く生活している。高崎経済大学に来て本当に良かった。良い出会い、良い仲間に感謝感謝です。
そんなは私のカラオケの十八番は海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」です。
(群馬県高崎市在住 4月より水戸市単身赴任)