リレー随想

2021/09/08
No.217 2021年9月号 1996年卒 宮部良紀
「高崎で触れた優しさ」

 1996年卒の宮部良紀と申します。
 1991年春、「こんにちは! 俺、南って言います。よろしく!」と挨拶してきてくれてから30年、今でも連絡を取り合う仲となった南君からバトンを受け学生時代を振り返ってみました。

 受験生の頃は「白壁・フローリング」の部屋でお洒落な一人暮らしをする大学生の自分を想像していたのですが、実際に住まいとしたのは「土壁・畳」の平屋の一軒家でした。
 皆が「昨日、部活の勧誘で突撃訪問された」と楽しく盛り上がっているのに、私の住む一軒家には新聞購読の勧誘の方がお見えになるぐらいで、一人寂しさと強い焦りを感じていたことを覚えています。
 
 そんな学生生活のスタートでしたが、「郷里から送ってきた味噌、美味しいから!」と料理を振舞ってくれた友人。仕送り日までの食料が底をつき困っていた私に、「帰省するから米貰ってくれないか」とさりげなく助けてくれた友人。体調を崩した私を心配して薬を持ってきてくれた友人。普段は一緒にバカなことばかりやっているのに、困ったときには直ぐに手を差し伸べてくれる友人たちに恵まれ、充実した日々を過ごすことができました。
 当時、月8万円の仕送りをしてもらっていましたが、住居費と水道光熱費を払うと、食費や交際費の全部までを賄うことができずアルバイトも励みました。ただ、アルバイト先に行くには車が必要。大学生協で6回払いのローンを組み教習料を支払い1年生の夏休みに運転免許を取得。先輩から無償で車を譲って貰えたまでは良かったのですが、私の運転の仕方が悪かったのか度々車が故障する。結果、車の維持費のためにアルバイトを益々頑張ることに。
 そのアルバイト先でも大変お世話になりました。速度違反をしたことで簡易裁判所へ保護者と出向かなくてはならなくなったものの、岐阜にいる親の都合がつかずに困っていたところ、「俺がお前の群馬での親になってやる」と一緒に行ってくださったガソリンスタンドの所長さん。
 就職活動中に心配してくださり「3年我慢すれば一人前の寿司職人に育ててやる。うちで働くか」と声をかけてくれた寿司屋のマスターと女将さん。私が落ち込んでいる時には、お店の閉店後でお疲れになっていただろうに一緒に呑んでくれました。
 
 辛いこともありましたが、高崎で出会った人々との交流の日々と多くの優しさに触れた思い出は私の中で特別なものです。今般、このように大学生時代を振り返る機会をいただけたことに感謝致します。日々の生活の中で私自身は相手のことを思いやり寄り添えているか、改めて見つめ直す機会となりました。
 コロナ禍による緊急事態宣言が全国規模に亘り発令され、感染拡大基調が収まる兆しが見えない状況下にあり、又、今夏も集中豪雨による自然災害が各地で起きるなど厳しい状況が続いています。
 コロナ禍や災害の影響を受けられご苦労されている方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、大学在学時にお世話になった地域の皆さま含め、皆さま及びご家族のご無事とご健康、ご多幸を祈念致します。
(岐阜県岐阜市在住)
2021/07/28
No.216 2021年8月号 1995年卒 南考浩
「とりあえず こんにちは しようか!」

 中島先輩からバトンを引継ぎました95年卒の南 考浩と申します。中島先輩には名古屋勤務時代、大変お世話になり今も家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いています。

 学生時代、バレーボール部、学園祭実行委員、体育会本部等、貴重な経験をさせてもらい、数多く失敗した経験(酒の失敗が多かったです)は今でも忘れません。そんな学生時代から今でも深く残っているのは、「とりあえず こんにちはしようか!」の当たって砕けろの精神です。
 2016年4月14日、上司から突然「君!鹿児島!」と異動を告げられ、しばし呆然としました。入社以来21年間何故か愛知県内勤務の私に初めての県外異動。私の周りだけが異動していき台風の目と呼ばれることもありました。当時、子供は4月中学生になったばかりの1年生の娘と小3の息子。単身赴任ではなく家族を説得して鹿児島連れて行こう!と一大決意をして妻(高経同期)に電話で鹿児島異動を報告したら、子供達の同意があればとの条件付きで南家引っ越しのチャンスを頂きました。「おっと中島先輩に報告せねば」と報告したところ、「おまえ大丈夫か?今、熊本で大変な事になっとるぞ」とコテコテの名古屋弁で熊本地震が発生したことを教えてもらいました。鹿児島異動内示の日が熊本地震発生の日と同日でしたので、毎年4月14日は鹿児島異動の内示と熊本地震を思い出します。
 早速、旅行雑誌「るるぶ」の九州各県を購入。子供達にプレゼンをして、渋々家族から了解を得ました。妻のママ友達からの「あんただけ単身赴任で行け!」の重圧をかわし、鹿児島へ家族で引っ越し。妻が鹿児島行きを決定した翌日、子供達に「本当に行くの?」と陰で聞いていたのを見てしまいました。

 鹿児島に着任して愕然としました。名古屋で勤務していた部署の1/10の実績の部署でした。名古屋勤務時代は支店でしたが鹿児島は出張所とは名ばかりのマンションの一室事務所。過去、名古屋支店へ連れて行ったことのある息子を鹿児島の事務所へ連れて行って、息子の一言が「パパの会社つぶれちゃったの?」
 鹿児島で、焼酎にハマり今では月1本ペースで飲んだことのない焼酎を購入して飲んでいました。11月上旬に鹿児島天文館で毎年開催される「鹿児島焼酎ストリート」へ息子と行って、私が酔いすぎて帰りに息子に手を引いてもらって帰宅した事もありました。ある日息子と交差点で信号待ちしている時、真剣な眼差しで「パパ! 僕真剣に勉強するからお酒止めてくれないかな?」と言われました。まさか息子は父親の会社が潰れてしまって父親が酒浸りになってしまったと本気で心配してくれていたのかと申し訳ないと思いました。
 
 息子の心配とは反対に、鹿児島のお客様は温かく、仕事と関係なくても、焼酎、温泉、子供達の遊び場所等ご教授して頂き、1年で鹿児島県の焼酎、温泉、子供の遊び場所の情報収集ができました。又、徐々に新規のお客様も増え翌年3月には満足のいく販売ができました。鹿児島に着任して半年新規がとれない時期があり、焦りはありましたが、心の根底にあったのは学生時代に培った「とりあえず こんにちはしようか!」でした。学生時代、夜な夜な友人達と中央銀座、高島屋、田町周辺を飲み歩き、知らない人に声をかけて友達になれたり、なれなかったりの経験が数多く、失敗あり、笑いありと良き思い出として残っています。鹿児島で楽しく勤務していたのですが、残念ながら1年で福岡へ異動となり、現在福岡単身勤務しています。場所がどこだろうと新規開拓をする際、今でも「とりあえず こんにちはしようか!」と思い、数多くお客様に飛び込み訪問やアポイントを繰り返し行い商談に挑んでいます。結果は相変わらず失敗あり、涙あり(社会人になって涙の方が多い)で、当たって砕けています。
(鹿児島在住)

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