リレー随想

2021/07/01
No.215 2021年7月号 1993年卒 中島圭
「大切な時間(トキ)」

 同期の村井君からバトンを受けました、1993年3月卒の中島 圭と申します。学生時代は、体育会硬式庭球部に所属しておりました。もう卒業して30年近くになりますが、学生時代の事は今でも鮮明に覚えています。
 
 入学当時はまさか自分の人生において、群馬県との結びつきがこれほど大きくなることなど想像もしておりませんでした。出身は愛知県ですが、高校卒業後唯一行くことを許された高崎での一人暮らしが始まりました。当時はまだいろいろと吹っ切ることができず、Z会のテキストを引越し荷物に入れていたことを思い出します。しかしながら入学式二日後くらいでしたでしょうか、三扇会館からでてすぐのテニスコートを何気なく見ていた時、先輩からのお誘いの言葉にどっぷりつかった高経生活が始まりました。すぐさま下宿にラケットを取りに帰り、そのままテニスコートで数時間、そしてその日のうちにからさき食堂でご馳走になり、硬式庭球部部員となったのでした。今だったらあの場所にテニスコートはないようなので部活に入ってなかったかもしれないですし、もしかすると群馬県にいなかったかもしれませんね。
 
 高経生活では様々な思い出があります。硬式庭球部との運命的な出会いに始まり、走って飲んで酔いつぶれたフレキャン。新歓コンパでポーチをなくし、先輩にお金を借りて帰った初めての帰省。(中銀で親切な方に拾っていただき財布、印鑑等全て戻ってきました。)めちゃくちゃしごかれたキツーイ夏合宿。後輩と一緒に受けた土曜一限の唯一落としたドイツ語の授業。中村民法ゼミでは、毎週のようなゼミ後の徹マン。また、在学中にはあらゆる夜景スポットや心霊スポット、また温泉スポットを車で走り回りました。雪道を平気で走れるようになったのも群馬の山々のおかげです。また、ダムの水くみという、都会ではまずありえない変わったバイトも経験させていただきました。とにかく群馬県を隅から隅まで、とことんまで謳歌したと思います。
 ただ一つ悔いがあるとすれば、当時の自分自身が非常に甘ちゃんだった事でしょうか。齢を重ねるにつれて、目標や目的がはっきりしている人間は、中身が濃いという事を思い知らされます。中身が濃いという事はそれだけ人生も深くなっていくのだと気づかされます。当時を思い返し、その点についてはもっと頭を使っていたらもっと深い人生を送れていた、とは思いますが今さらなのでぜひ次世代を担う若者に明確な目標や目的を持って行動してください、と伝えたいものです。
 
 さて、新型コロナによりあらゆることへの自粛やリモートを強いられている今の学生には本当に同情いたします。せっかくの貴重な時間がつぶされてしまって本当に辛いでしょうが、とにかく腐らず顔を上げ、前を向いて進んで欲しいと願っています。必ず終息するときが来るので、その時は目一杯学生生活を謳歌して下さい。年を取ってから自分にとって大切な時間(トキ)を過ごせたと言えるように。
 私もこのコロナで、妻の実家(桐生市)に帰れない月日が続いています。ワクチン接種が早く終わって大好きな群馬に早く行きたいものですね。
(名古屋在住)
2021/06/01
No.214 2021年6月号 1993年卒 村井大助
「スパゲッティ」

 2年先輩の村上さんからバトンを受取りました、村井大助と申します。

 村上さんとは学生時代に親交はありませんでしたが、同じ会社に就職したのちに連絡を交わすようになり、入社後16年の月日を経て同じ支店に勤務するという僥倖に恵まれ(しかも勤務地は高崎市)、転職した今でもお付き合いをさせていただいております。

 さて、随想を記すにあたり、ここ数日当時の想い出に頭を巡らす日々でしたが、テレビでスパゲッティの話に触れる機会が立て続けにありました。及川光博さんがナポリタンを熱く語る番組、南野陽子さんが高校生のときに行ったレストランのスパゲッティのメニューの数がものすごかったという番組でした。お二人のエピソードから私の頭に浮かんだのは、先輩方に初めて連れて行っていただいた、『ボンジョルノ』というスパゲッティ専門店でした。

 同世代の方には共感していただけると思いますが、スパゲッティというのはナポリタンかミートソース、食べる場所は自宅か喫茶店という感じでしたので、このときの食文化ショックは相当なものでした。ちなみに出身地は秋田県北秋田市で18歳まで過ごしてます。
 スパゲッティ専門店ということだけでもかなりの驚きの中、メニューをみてどんな味がするのかを想像することは全くできませんでした。

 ジェノベーゼ カルボナーラ カッチャジョーネ ボンゴレ マーレ ペペロンチーノ ペイザーナ バジリコ ベスビオ トンノ イカスミ

など、発音することすら困難なものもあり、当然選ぶことはできませんでしたので先輩にゆだねたのですが、ノルマをは大盛りを完食することだったのです。なんとかいけるだろうと高をくくっていたのですが、お皿が運ばれてきてその量のすごさには愕然としました。味が違うものでしたらまだしも、一人一皿同じものを食べ続けるというのはいくらおいしい料理とはいえこんなにも苦痛を伴うものなのかという事を学んだ時間でした。

 その後、『シャンゴ』のシャンゴ風スパゲッティというメニューにも衝撃を受けたものですが、こちらはメディアの影響もあり今では全国的な知名度になっているように思われます。『おまえはまだグンマを知らない』という映画にも登場しておりました。

 高崎市は今でこそパスタの街としての知名度を上げ、お店の数も莫大になり群雄割拠の様を呈しておりますが、今でも私はスパゲッティが食べたくなるといの一番にボンジョルノを選択しており、卒業してから28年経ちましたが、完全にソウルフードと化しております。高崎に住み続けている限り、食べ続けていくことでしょう。

 同窓の皆様は当時、ボンジョ派、シャンゴ派のどっちだったでしょうか?
 
 以上、想い出のエピソードを一つ記させていただきました。
(高崎市在住)

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