リレー随想

2022/03/25
No.224 2022年4月号 2011年卒 佐藤 初好
「夢か現(うつつ)か」

くったりと椅子にもたれ、目を閉じ、耳を澄ます。
煌めく湖面を小刻みに打つ、漣の音。
命を振り絞らんとする木の葉たちの、カサカサと揺れる音が、とても心地良い。
もうかれこれ1時間はこうしているだろうか。
外気温はマイナス3℃。
まだまだ寒い冬の、しかし、春の陽気をもほんのり感じさせる、そんな午後である。

ここは富士五湖のうちの1つ、山中湖の畔。
眼前に大きく聳え立つ巨峰も、今はその雪化粧を一層濃ゆくしている。
時折、水面を撫でる風が肌を刺すものの、
うすら開けた眼には、オレンジ色の柔らかな光が射し込んでくる。
日没まではまだまだ時間がありそうだ。どれ。

小さなツマミを回し、点火スイッチを押す。
カチッという音とともに、バーナーがゴーッと唸りをあげ、
上に乗ったコッヘルをこれでもかと加熱する。
よくもまぁこんなコンパクトなボディーから、そんなに威勢のいい炎を吐き出せたものだ。

食材の入ったクーラーボックスをのぞき込み、ピーマンと厚切りのベーコンを取り出す。
ピカピカに光る刃を緑の外皮に滑らせ、刻んでいく。
鉄板にベーコンを並べ、上からブラックペッパーと粗塩を振りかけ、焼き目をつける。
ジュウジュウという音が、生まれては掠れ、澄んだ空気に溶けていく。

食パン2枚に、炙ったベーコンと細切りのピーマン、チーズをはさんでマヨネーズを適量。
あとは2つの鉄板でプレスし、焦がさぬように待つ。
ほどなくして、コッヘルの方からもボコボコと音が鳴り始めたので、
茶色の粉末を入れたサーモマグに、できたてのお湯を注いでやる。
立ち上る湯気が、太陽の光と重なって目に眩しい。
ホットサンドと苦めのカフェラテ、これが今日の昼食だ。

上出来の焦げ目に嬉しい一瞥をくれながら、かぶりつく。
外はカリカリ、中は重たく脂身の効いたジューシーな食感に思わず舌鼓を打つ。
こうして口内を幸福で満たしながら閑やかな景色を眺めていると、
日常の喧騒など不思議とどうでもよくなってくる。

憔悴しながらも迫りくる幾つもの納期と格闘していた、波瀾の年の瀬が遠い昔のようだ。
これでもかと企画を練り、慌ただしく進めた撮影がようやく終わったかと思えば、
今度はひたすらパソコンの前でウンウンと頭を悩ませ、
「あーでもない、こーでもない」を繰り返す編集作業。
映像を作るということは、なかなかに無慈悲で、途方もない作業である。
十数年前、まさか自分がこんな職に就くことになろうとは夢にも思っていなかった。

パララララ、と風に頁をいたずらされたところで本を閉じる。
銀色の皿にはパンくずが不規則に散らばり、
鉄板にへばり付いた油には、先ほどにも増して色味を濃くした光が反射している。
昇りきった太陽は、大地に別れを告げるようにゆっくりと傾いていく。
ああ、じきに陽が暮れる。
日没後はグッと寒くなるから、ぼちぼち焚き火でも始めようか。

パキパキと地面を踏み鳴らし、周囲を散策する。
こうして少し歩き回るだけで、火種に使えそうな小柄な枝は案外すぐに見つかるものだ。

黒い収納袋に押し込められた金属製のアイテムを取り出し、
4本の脚を開いて、組み立てる。
シルバーのフレームが実に格好良い。
これで焚き火ができる上に、その上に金網を乗せれば、食材をグリルすることもできる。
お気に入りのメーカーの焚き火台だが、そこそこ値が張るので、
ショッピングカートに入れては、削除する、をずいぶんと繰り返した気がする。
しかし、こうやって実物を目の前にすると、
そんなにわかの躊躇がいかに陳腐だったか思い知らされる。
人間にとって“自らのテンションを昂らせること”はとても重要な事である。
それは、これまでの人生を歩む中で刷り込まれた、偉大なる教訓だ。

思えば、大学時代はよく部活の仲間と、向こう見ずなドライブへ繰り出したものだ。
深夜1時頃。2〜3台で連なりアジトを飛び出す。
夜の国道は空いていて、とても快適だった。峠道もよく走った。
巧みなハンドル捌きとギアチェンジが物を言うヘアピンカーブの坂道には、
いつ挑んでもゾクゾクした。
どこに通じているのか分からない、獣道のような暗がりに車を潜り込ませるのが好きだった。
冬場は、部活で購入したヒートテック仕様のセットアップが大いに役に立った。
いつも大体、日が昇るまで好奇心の赴くままに皆で時間を共にし、そして。
朝方、眠たい眼をこすりながらそれぞれが帰路につくのだった。
無鉄砲なアウトドアの精神は、ひょっとしたらあそこで培われたのかもしれない。

辺りはすっかり暗くなり、そこかしこに温かな人工の光が漏れ出している。
山中湖有数のスポットという事もあり、
他にも多くのキャンパーたちが羽を伸ばしているようだ。
所によっては、きっと薪ストーブを設置しているのだろう、
天へと伸びる銀の筒からはもくもくと煙が吐き出されている。
現在、マイナス5℃。
こちらも、本格的に夜支度を始めなければ。
地面に金属ポールを突き刺し、ランタンを吊す。
まばゆく辺りを照らす電球色の灯りと、勢いよく火花を散らす朱い炎が、
瞬時に夜の湖畔を一際色気のある空間へと変貌させる。

パチパチッ。ジュウジュウ。
至近距離で鼓膜と胃袋に訴えかける、実に耳触りの良い音色。
網の上では、身を捩らせながら油を噴き出す肉塊がジリジリと炙られている。
そして、手にはキンキンに冷えた缶ビール。
大きめのシェラカップによそったバターチキンカレーからも、フワッと芳しい湯気が上る。
「― いただきます」

肉を焼いては口に運び、酒を流し込み、思い出したように薪をくべる。
今夜はとことんしっぽり、いこうじゃないか。
もう少ししたら、すぐ近くにある温泉へ凍えた身体を癒しにいくのもいい。
ふと空を見上げれば、この尊い時間を祝福しているかのように
たくさんの星々が燦然と光を放っていた。


そんな、キャンプをするはずだった。
現実は、決して甘くはない。

初めてのソロキャンプ。
東京から山梨へ向かう高速道路は、帰省シーズンだからか超絶怒涛に混んでいて、
河口湖ICを降りる頃には予定より3時間もオーバーしていた。
買い出しのために途中で寄ったスーパーは、
店内が多くのファミリー層で激混みな上に、レジも長蛇の列。
こちとら1泊分の微々たる食料しか買わないのに…
やっとの思いでキャンプ場に到着するも、時間はゆうに15時を回っていた。
(予定していたチェックインは12時)
日没まではあと2時間ばかりしかない。

いそいそと自分の区画に車から荷物を下ろしていると、
キャンプにおいてはこと肝心の、
サバイバルナイフ・ハンマー・チャッカマンを忘れてきた事に気がついた。
ちゃんと玄関先に出しておいたのに…
近くのホームセンターへは、車を飛ばしてもざっと20分はかかる。
これでは焚き火は愚か、テントにペグダウンする事もままならない。
仕方なく、管理棟でそれらを無駄にレンタルした。チャリーン。
チャッカマンも買った。チャリンチャリーン。

そうこうしている間に辺りはどんどん陰っていく。
目の前の美しい湖に惚けている人たちを横目に、すぐさまテントの設営に取りかかった。
もちろん、テントを張るのは今回が初めて。
ソロ用のワンタッチ式とはいえ、慣れていないのでなかなか思うように進まない。
細かい作業ともなると手袋をしたままでは難しいので、途中からは素手。気温はマイナス。
どんどん感覚を失っていく指どもを酷使し、お金を払って借りたハンマーで、
寒さに気圧され自然と垂れてきた鼻水をすすりながら、ペグの頭を打った。

なんとかテントは張れたものの、いよいよ暖をとらねば本気で凍え死んでしまう。
管理棟で買った薪を、管理棟でレンタルした斧で細断。
火を起こした頃にはもう、とっぷりと日が暮れていた。
しかし、焚き火だけではベース全体が明るくならないので、
ランタンを取り出してテーブルに置いてみる。
……。確かに明るいが、それはあくまでテーブルの上だけで、
焚き火の方までは全然光が届いていない。
そう、広範囲を照らすにはランタンを上から吊す必要がある。
しまった、ランタンを吊すポールがない。
出発の数日前、まぁなくてもなんとかなるだろとショッピングカートから外した、
まさにそれが今必要だった。

もういい、とにかく腹が減った。
東京を出る前、朝9時ぐらいにスタバで食べたワッフル以来、何も口に入れていない。
湯煎をするべく水を張ったコッヘルを10分近くバーナーで炙ってみるが、
寒すぎるのか一向に沸騰する気配がない。
実は、この時のためにと買った無印良品のカレーパウチを楽しみに持ってきたのだが…
サクッと一人分の米をクッカーで炊き、温めたカレーを上からかけるだけで完成する、
実にお手軽なキャンプ飯ですらまともに作れそうにない。

やめ。カレーはもうやめ。
とりあえず肉だけでも焼こう。沸いたお湯は湯たんぽにでも使えばいい。
焚き火の上に網をかぶせ、パック詰めされた肉を取り出す。
周りはすっかり暗くなり、まさに一寸先は闇状態である。目立つ外灯もない。
気を取り直して、まずは軽く豚トロから。
外装のラップを破り、2〜3枚網の上に乗せ、アルミ皿にタレを注いでいると、
あれ?焚き火の火力がどんどん落ちているじゃないの。
何だよ、もう下火になっちゃうの? ああもう、薪、薪!
再度手袋をはめて、何本か薪をつかみ、くべる。
よし、こんなもんでいいか。
改めて椅子に腰を下ろすと、座面が凍てつくような温度にまで下がっていた。冷てぇ。
どれ、早速豚トロを… ん?待て、これ、ちゃんと焼けてんのか?
暗すぎて焼き加減が全く分からない。
なんか雰囲気カリッとしてるし、まぁいけるだろ。
とりあえずタレ皿に移して。あっと、酒を出してなかった。
肉を喰らうのに酒がないのは言語道断、タブーである。
(大学の新歓BBQで誰もが学ぶ心得)
よかった!ビールはキンキンに冷えている、と顔を綻ばせたのも束の間。
満を辞して口に放り込んだ豚トロ、何とこいつもこの短時間でキンキンに冷えていた…
(なんならまあまあ焦げていた)
そして、ビールをグイッと一口あおる頃には
また焚き火がしょぼくれた感じになっているのだった。
以降、肉を網に乗せる→薪をくべる→焼けたか分からない肉をタレ皿に入れる→火加減を調節する→肉を食べてみる→冷たいし焦げてる、の繰り返し。
(お昼に作って食べようと思っていたホットサンドの食材たちは、
その先もずっとクーラーボックスの中で眠っていた)

当然ながら、星を眺める余裕など微塵もなかったし、本を読む時間もなかった。
意図した料理も作れなかったし、温泉にも入れなかった。
慣れない事にいちいち手こずって、全くもって思うようにいかなかった初めての試み。
しかし。
「人生、常に心惹かれる事をやっていたい」
そのマインドは、なんだか今も昔も変わらないなとぼんやり思った、2021年暮れのできごと。

というわけで、ご挨拶が遅くなりましたが、
硬式庭球部で4年間同じ釜の飯を食った同輩・武田君からバトンを受け取りました、
2011年卒の佐藤初好と申します。
彼とはテニス以外のところでもいろいろとウマが合って、結構な時間を共に過ごしたように思います。
(死相がチラつくようなドライブにもたくさん行きました)
今回、こういう機会を与えてくれて大変感謝しています。

そして次のバトンは、硬式庭球部の後輩であり、大学時代にアルバイトをしていた塾の教え子でもある鈴木楓さんにお渡ししたいと思います。
高校時代からすごく頑張り屋さんで、大学にもしっかり現役で合格。
その後、私の口車にまんまと乗せられて硬式庭球部に入部し、
4年間折れずに駆け抜けてくれた自慢の後輩ちゃんです。張り切って頼みますね!

(東京都世田谷区在住)
2022/03/01
No.223 2022年3月号 2011年卒 武田新
「赴くままにやり切った4年間を振り返り」

 窪田先輩からバトンを受けました2011年卒の武田新です。先輩とは…入学式か新入生説明会だったと思いますが、大学生活の初日に観光研究会(当時は交通研究会)にお邪魔したときからお世話になっています。今でも遊びに誘って頂いたり、サッカーの話をしたりと良くして頂いています。うーん腐れ縁(すいません)。


 さて、随想という事ですがテーマがまとまりません。大学生活でやっていたことを少しずつ振り返ってネタを考えてみます。


・高崎の印象
巨大な高崎駅に圧倒された覚えがあります。バスで到着した大学も、バス停が広くてきれいで驚きました。そしてすぐに北高崎駅のローカルさを知り二度びっくり。
千葉県出身の私にとって、地平線が山で終わるというのも新鮮でした。アパートはハナミズキ通りの1本裏道。周りは静かで、大学からも程よい距離。筑縄は本当に良いエリアでした。

・一人暮らしと自炊
ろくに料理をしたことが無いまま自活。食費抑制のために米だけ炊いて、ベルクで半額になった総菜を載せた弁当を持参していました。部屋はまぁまぁ綺麗にしていたはず。ストリートビューしてみたら、まだアパートありました。懐かしい自分の部屋。ありがたいことに、いつも誰かが部屋に遊びに来ていました。

・硬式庭球部と観光研究会の兼部
諸先輩方のご配慮のおかげで4年間やり通せました。旅行業務取扱管理者の試験日と部の試合日が重なった時に呼ばれた部の幹部会は今でも思い出せます。理解のある先輩方がいらっしゃって本当に幸運でした。部活もサークルも、とても濃い時間を過ごせましたし、今の自分を形作った経験が沢山ありました。この仲間たちとの思い出が『同じ釜の飯を食った仲』というものなんだと感じます。

・観光研究会の部室づくり
サークルの改称と体制変更に伴い部室もちゃっかり改装。秘密基地を作るノリでしたね、あれは。初代ソファーは私がアパート前のゴミ置き場から失敬した品。4年間ゴロゴロした思い出の空間です。先日文サ棟が建て替わったというニュースを目にしましたが、今の観光研の部室はどんなでしょうか?

・地元の友達と遊ぶ
高崎に暮らしても高校の友人は普通に誘ってくれました。高崎線乗り通して片道2時間強なんですけどね…。フットサルに行ったり、徹夜ゲーム大会に来たり。交通費が大変なことになったので、途中から伊勢崎経由の東武線利用で帰省してました。

・バイト
最初は部活とサークルの試験勉強に専念したくて親のすねかじり。たしか1年秋から始めました。ドラッグストアのバイトは生活用品の値段を覚えるので今でも経験が活きてます。個人的にはバイトでの経験や指導されたネタは社会人になっても結構助かってます。良い職場でした。

・宅飲み
高経大の特色だと思いますが、一人暮らしする仲間が多い。つまり夜は暇人が集まり飲み。最初は部活の先輩に呼んでもらっていましたが、学年が上がると自宅を会場にしてやる方が(自分の場合は)楽だという事に気づきました。安く、美味しくコスパ良い宅飲みを追求したものです。白菜を玉で買っての鍋飲み最強。

・ニコニコ動画
4年間寝不足にしてくれた諸悪の根源。ボカロにアイマスとオタク心に突き刺さるものが山ほどあった。未だにアカウントは残してあります。地元の同窓だった妻もニコ動中毒のアイマスPであり、縁結びとしては夜更かしが結果オーライな形に。このくらいの時代から、オタク趣味をオープンにしやすい風潮になったと感じています。

・コミケ
ここで本気を出すために部活をやっていると嘯いた事も。地元の友人、大学の友人と一体となって燃えた年二回の祭りでした。

・麻雀、モンハン
麻雀は文サ棟の友人と、モンハンは部活の同期とまさに夜を徹してやりました。決して上手くはなかったけど、同じ面々で何時間も遊べるってすごい事だと思います。

・山ドライブ
部活の同期でのブームその2。群馬出身者の自動車保有率は千葉出身の自分には衝撃でした。峠やダム、山奥の心霊スポットに夜な夜なドライブ。朝帰りでも授業に行けたあの頃は若かったです…。
その影響あってか私は山好きに。卒業前には谷川岳を縦走し、今でも日帰り登山が趣味に。山サイコー!

・バイク
高崎という車社会において、自分の趣味に走ったバイク乗りが私です。気が向いたら榛名山まで30分という立地。いつでもツーリングに行けました。仲間との時間も楽しいですが、ふとした瞬間にバイクにまたがり倉渕の名もなき山で一人になることが出来る。移動そのものが楽しい乗り物です。

・柏レイソル
大学在学中にサッカー観戦もハマりました。地元チームの柏レイソルがJ2に降格してしまったのですが、その結果J2のザスパ草津との対戦でレイソルの試合が群馬で見られるように。
敷島に観戦に行ったのが応援するきっかけになりました。翌シーズンから本格的に観戦するようになり、なんとJ1で優勝。今は娘たちにもユニホームを着せて観戦しています。


 テーマが決まらないまま良い字数になりました。唐突ですがここで筆を置いてしまおうと思います。
 もしこの文章が先輩方の目に触れたら『大学楽しかったですね。』『自分の頃はこんなことしてましたよ』と。
 もし現役や後輩の子が見たら『やりたい事はなんでもやっちゃえ!』『やっちゃえば意外と何とかなるよ』と。
 結びっぽいことを書いて終わりにします。


 窪田先輩から面白い話とのオーダーでしたが、私には難しかったようです。なので次にバトンを託すハッチこと佐藤初好君に期待します。硬式庭球部きってのエンターテイナーに乞うご期待。
(千葉県柏市在住)

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