リレー随想

2022/03/01
No.223 2022年3月号 2011年卒 武田新
「赴くままにやり切った4年間を振り返り」

 窪田先輩からバトンを受けました2011年卒の武田新です。先輩とは…入学式か新入生説明会だったと思いますが、大学生活の初日に観光研究会(当時は交通研究会)にお邪魔したときからお世話になっています。今でも遊びに誘って頂いたり、サッカーの話をしたりと良くして頂いています。うーん腐れ縁(すいません)。


 さて、随想という事ですがテーマがまとまりません。大学生活でやっていたことを少しずつ振り返ってネタを考えてみます。


・高崎の印象
巨大な高崎駅に圧倒された覚えがあります。バスで到着した大学も、バス停が広くてきれいで驚きました。そしてすぐに北高崎駅のローカルさを知り二度びっくり。
千葉県出身の私にとって、地平線が山で終わるというのも新鮮でした。アパートはハナミズキ通りの1本裏道。周りは静かで、大学からも程よい距離。筑縄は本当に良いエリアでした。

・一人暮らしと自炊
ろくに料理をしたことが無いまま自活。食費抑制のために米だけ炊いて、ベルクで半額になった総菜を載せた弁当を持参していました。部屋はまぁまぁ綺麗にしていたはず。ストリートビューしてみたら、まだアパートありました。懐かしい自分の部屋。ありがたいことに、いつも誰かが部屋に遊びに来ていました。

・硬式庭球部と観光研究会の兼部
諸先輩方のご配慮のおかげで4年間やり通せました。旅行業務取扱管理者の試験日と部の試合日が重なった時に呼ばれた部の幹部会は今でも思い出せます。理解のある先輩方がいらっしゃって本当に幸運でした。部活もサークルも、とても濃い時間を過ごせましたし、今の自分を形作った経験が沢山ありました。この仲間たちとの思い出が『同じ釜の飯を食った仲』というものなんだと感じます。

・観光研究会の部室づくり
サークルの改称と体制変更に伴い部室もちゃっかり改装。秘密基地を作るノリでしたね、あれは。初代ソファーは私がアパート前のゴミ置き場から失敬した品。4年間ゴロゴロした思い出の空間です。先日文サ棟が建て替わったというニュースを目にしましたが、今の観光研の部室はどんなでしょうか?

・地元の友達と遊ぶ
高崎に暮らしても高校の友人は普通に誘ってくれました。高崎線乗り通して片道2時間強なんですけどね…。フットサルに行ったり、徹夜ゲーム大会に来たり。交通費が大変なことになったので、途中から伊勢崎経由の東武線利用で帰省してました。

・バイト
最初は部活とサークルの試験勉強に専念したくて親のすねかじり。たしか1年秋から始めました。ドラッグストアのバイトは生活用品の値段を覚えるので今でも経験が活きてます。個人的にはバイトでの経験や指導されたネタは社会人になっても結構助かってます。良い職場でした。

・宅飲み
高経大の特色だと思いますが、一人暮らしする仲間が多い。つまり夜は暇人が集まり飲み。最初は部活の先輩に呼んでもらっていましたが、学年が上がると自宅を会場にしてやる方が(自分の場合は)楽だという事に気づきました。安く、美味しくコスパ良い宅飲みを追求したものです。白菜を玉で買っての鍋飲み最強。

・ニコニコ動画
4年間寝不足にしてくれた諸悪の根源。ボカロにアイマスとオタク心に突き刺さるものが山ほどあった。未だにアカウントは残してあります。地元の同窓だった妻もニコ動中毒のアイマスPであり、縁結びとしては夜更かしが結果オーライな形に。このくらいの時代から、オタク趣味をオープンにしやすい風潮になったと感じています。

・コミケ
ここで本気を出すために部活をやっていると嘯いた事も。地元の友人、大学の友人と一体となって燃えた年二回の祭りでした。

・麻雀、モンハン
麻雀は文サ棟の友人と、モンハンは部活の同期とまさに夜を徹してやりました。決して上手くはなかったけど、同じ面々で何時間も遊べるってすごい事だと思います。

・山ドライブ
部活の同期でのブームその2。群馬出身者の自動車保有率は千葉出身の自分には衝撃でした。峠やダム、山奥の心霊スポットに夜な夜なドライブ。朝帰りでも授業に行けたあの頃は若かったです…。
その影響あってか私は山好きに。卒業前には谷川岳を縦走し、今でも日帰り登山が趣味に。山サイコー!

・バイク
高崎という車社会において、自分の趣味に走ったバイク乗りが私です。気が向いたら榛名山まで30分という立地。いつでもツーリングに行けました。仲間との時間も楽しいですが、ふとした瞬間にバイクにまたがり倉渕の名もなき山で一人になることが出来る。移動そのものが楽しい乗り物です。

・柏レイソル
大学在学中にサッカー観戦もハマりました。地元チームの柏レイソルがJ2に降格してしまったのですが、その結果J2のザスパ草津との対戦でレイソルの試合が群馬で見られるように。
敷島に観戦に行ったのが応援するきっかけになりました。翌シーズンから本格的に観戦するようになり、なんとJ1で優勝。今は娘たちにもユニホームを着せて観戦しています。


 テーマが決まらないまま良い字数になりました。唐突ですがここで筆を置いてしまおうと思います。
 もしこの文章が先輩方の目に触れたら『大学楽しかったですね。』『自分の頃はこんなことしてましたよ』と。
 もし現役や後輩の子が見たら『やりたい事はなんでもやっちゃえ!』『やっちゃえば意外と何とかなるよ』と。
 結びっぽいことを書いて終わりにします。


 窪田先輩から面白い話とのオーダーでしたが、私には難しかったようです。なので次にバトンを託すハッチこと佐藤初好君に期待します。硬式庭球部きってのエンターテイナーに乞うご期待。
(千葉県柏市在住)
2022/02/01
No.222 2022年2月号 2010年卒 窪田 卓行
「ザスパ草津との出会い」

 阿部君からバトンを受け取りました、2010卒の窪田卓行と申します。阿部君は観光研究会の後輩で、今でも定期的にお酒を飲みあう友人です。

 地元は静岡県、就職先は東京都と群馬には4年間のみでしたが、初めて地元を離れての1人暮らしだったので何もかも新鮮だったと記憶しています。夏は夕立で洗濯物が濡れる、冬は空っ風で自転車が進まないと1年目は苦労しました。

 私が入部した交通研究会はその後観光研究会と名前を変え、今や文サでも指折りの規模になったことは嬉しいですね。幹事長の頃には季節感を無視しで三扇祭でかき氷を売ったこともありました。今でもOB会等で声をかけてもらえるのは有難い限りです。

 3年生となった春、それまでのバイト先であった塾講師を辞め、時間に余裕ができた時に自宅へバイト募集のポスティングがありました。サッカーJ2のザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)の試合会場でアルバイトを募集している、といった内容です。静岡はサッカー王国と言われますが、私は伊豆半島の生まれでサッカーとは全く縁がありませんでしたが、興味本位で応募していたような覚えがあります。
 初めてバイトに入った日、一進一退の展開から後半最後の最後でザスパが勝ち越しゴールを決めて勝利、そのときのスタジアムの盛り上がりに胸を打たれ、そこからサッカーにハマりました。ゴールが決まった瞬間にスタジアムが沸騰するように盛り上がる、その瞬間が好きで、元より旅行が好きだったこともあり国内各地へサッカー観戦に行きました。ハマりすぎて卒業が半年遅くなりましたが、良い意味で人生のターニングポイントとなりました。
(今の職場には1年間待ってもらい本当に感謝しています)

 就職してからはそのままザスパの応援にハマりました。最初は金銭面の都合もあり関東近郊だけでしたが、職場の先輩にザスパのサポーターがいたこともあり、2〜3年前からはほぼ全試合で応援に駆けつけるようになりました。
 ホームゲームが前橋の敷島公園で行われるため、現在も頻繁に群馬を訪れています。試合後にザスパのサポーターと飲みに行くことが多く、群馬を離れた今になって前橋や高崎の居酒屋を開拓しています。在学中はあまり外で飲まなかったので、良いお店ばかりでもっと早くから飲み歩いていれば、と後悔ばかりですね。
 入学当初は卒業までの4年限りと思っていた群馬が、ザスパを知ったことで今後永遠の付き合いになりそうです。

 次のバトンは交通研究会の1年下の後輩、武田新くんへ渡します。きっと面白い話を載せてくれるはずです。
(東京都小金井市在住)

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