リレー随想

2023/04/29
No.236 2023年4月号 2015年卒 中西 雄太
「幸運とは」

 高橋利宗くんからバトンを受け取りました地域政策学部2015年卒の中西雄太です。サークルどころか学部すら違いますが、彼とは入学してすぐの宅飲みで知り合いました。学生時代は一緒に料理をよくしたね。(ここまで高橋君の文章コピペです。)
よく彼の家に遊びに行ったきり泊まらせてもらうなど、しょっちゅう入り浸っていました。寝床を提供してくれて本当にありがとう。
(卒業年次が1年違う事には触れないでください。)

 さて私は現在、東京の広告代理店にて営業職に従事しております。先日、同じ会社に歴代4名ほどしかいないOBの内、2名の先輩との会食機会がありました。お二人とも今年から部長になられ、東大・京大・早慶卒が数多くいる社内でも仕事の出来る方だとちょっとした有名人でございます。
 噂には聞いておりましたが、まさか実際に同じ会社で働けるとは夢にも思いませんでした。そして社内で私も今年ちょっとした挑戦をしておりますが、同じ大学のよしみもあり、本当に良くしてくださっております。高崎経済大学に通えて、本当に幸運だと感じています。

 正直に申し上げますと、私は第一志望大学ではなかった為、入学が嫌で嫌で仕方ありませんでした。高崎で一人暮らしをはじめた日の事は今でも鮮明に覚えています。自転車が倒れてしまいそうなからっ風に、長崎からずっと行きたかった東京を通り越して群馬まで来てしまった寂しさに狂いそうでした。父親に「今すぐやめたい」とLINEすることも多々ありました。
 今でこそ親や友人やお世話になった方に失礼な話ですが、当時はまだ考えも稚拙で東京への憧れが強くあり、なかなか自分の居場所を受け入れる事が出来ませんでした。ただ高崎では人生で初めて彼女が出来たり、アルバイトの厳しさや楽しさを学んだり、また、街に出て多くの人生の先輩と出会う事が出来ました。

 社会に出てからは2度転職をしております。気付けば、社会に出てからの8年間、必死にあがいて、もがいて来ました。変化が速く、労働時間も長く、かつ人間関係も厳しい広告業界にいながら、何とか食らいつきながらここまで仕事をしてきました。そんな中、同じ会社で私の挑戦を応援してくださるOBに出会える事が出来たのです。
 先日初めて父親に「高崎経済大学に通わせてくれてありがとう」とLINEしました。
「今更かい(笑)」と返信が来ました。

 さて、それから幸運とは日常への感謝だと考えるようになりました。高崎経済大学に通えた事が今になって強く幸せだと強く感じる様になりました。また、辛かった仕事や日々の厳しさは今を手繰り寄せた道標になっていました。幸運とは、決して快楽にふける事や、派手に欲望が満たされることでなく、当たり前の日常、否、一見当たり前に感じる事に感謝出来る事だと思います。もっというと苦しい、しんどい、嫌だと思えること事すらも、実は自分を高めてくれる幸運かもしれません。

 余談ですが仕事以外にも漫才、ダンス、ラップなど趣味でも多くの挑戦を続けております。まだまだ初心者から抜け出せませんが、毎日1mmの成長を続け、苦しみ楽しみながらも、あがき、もがき続け、いつかステージからの最高の景色を見たいと思っております。

 一見地味で単調に見える日々に感謝を。
 そして関わってくれるすべての方にありがとうの気持ちをもって締めたいと思います。

 次にバトンを渡すのは同年代の加藤太揮君です。彼とはメディアキャンプという映像制作の課外活動で出会いました。今でも同じ広告業界で切磋琢磨する仲です。また一緒に悪さしよう!(笑)
(東京都在住)
2023/03/09
No.235 2023年3月号 2014年卒 高橋 利宗
「出会いは一生の宝物」

 田口裕眞くんからバトンを受け取りました経済学部2014年卒の高橋利宗です。彼とは、ゼミや部活が被っていたわけではないのですが、ボランティアサークルの新入生歓迎会で出会って以来、卒業してもなお、仲良くさせてもらっています。
 彼はギター部に所属して音楽が大好きだったのでよくカラオケにも行きました。お世辞抜きに彼は歌が上手で、三扇祭のカラオケ大会では賞を獲得するような美声でした。福山雅治の歌を歌うと声が本人にそっくりです。私は幼少期に9年ピアノをかじっていたので彼がギター、私がキーボードで将来おじさんバンドでもやろうと話をしたことがありますが、その夢はまだ捨てていません(笑)
 車を所有していたので、普通ではなかなか行けない遠方や夜のドライブにもよく連れていってもらいました。学生時代ならではの良い思い出です。時には某アイドルの総選挙&コンサートにも行き、席がまさかの最前列から3番目なんてこともありました。

 学生時代を振り返ってみると体育会の水泳部・ゼミ活動が主でした。運動不足防止にと軽い気持ちで入部しましたが、日に日にタイムの壁に追われながら自分を追い込み、最終的には納得のいく結果を残すことができました。活動する中で、他大学との学生とも交流を深めることもでき、社会人になった今も近況を報告し合っている人が多くいます。
 ゼミは鉄道オタクやバスマニアが集うと噂されていた大島ゼミナールでした。周りから後ろ指を刺されていたりどう思われていたりしたかはわかりませんが、ゼミ長もやらせていただき、大島教授以外に外部から特別顧問としてゼミに参加してくださっていた元製薬会社の重役さんとの出会いもありました。就職活動の面接練習やエントリーシートの添削を何度もしていただいたり、卒業までには数多くの社会人としての心得をご鞭撻いただいたりしました。熱心で時には厳しい御指導をいただいたおかげで無事に就職活動を乗り切り、現在は東京の都心に近いところで鉄道関係の仕事をしております。鉄道の乗務員になりたいという幼少期からの夢は惜しくも叶いませんでしたが、それに近いようなことはできているのでまだ良いのかなと思っています。
 
 今振り返ると、高崎経済大学で過ごした4年間は人生においてとても濃密な4年間でした。正直、学生時代の学業はそこまで活きていないかもしれませんが、一生お付き合いさせてほしいような友人や先輩後輩が多くできた点は充実した学生生活だったのかなと思います。
 また、友人を通して知り合った人、関連会社の先輩や上司の中にも高崎経済大学のOB・OGが多くて驚いています。最近、数年ぶりに職場が転勤になり、上司も変わりました。無口で何の話題で話をしたらいいんだろうと思っていたところまさかの高崎に住んでいたことのあるという方で、高崎に住んでいたことを話したらそこから会話花が咲き、今では何でも話すことができる仲になりました。
 
 大都市から来ていた方々は高崎を田舎と言いますが、秋田の田舎出身の私にとってはとても住みやすい環境でした。程よく栄えていて買い物や食事には困らないけれど家賃や物価はそこまで高くない、新幹線を使わずに都心まで乗り換えなしで行けるというのは魅力的でした。そして何よりも安くて新鮮な野菜の直売所があっちこっちにあるというのは自炊好きな私にとっては素敵な環境でした。
 照りつけるような夏の暑さと、自転車が進まないほどのからっ風を四方八方から受ける厳しい冬のさには驚きましたが、それと引き換えに地盤の強さがあり安心感がありました。大学1年の冬、東日本大震災に見舞われましたが、高崎はさほど大きな被害が無かったことには驚きました。今でもニュースやテレビ番組で高崎市が紹介されたり、社会人になってから知り合った身の周りの人で高崎市出身と聞いたりすると非常に親近感が湧くほど青春時代の貴重な1ページから「高崎愛」が強くなってしまいました。私の第二の故郷と言っても過言ではありません。今でも高崎のお気に入りの飲食店に行くために足を伸ばすことが毎月あるくらいです。
 
 現在、結婚を前提にお付き合いしている女性がいますが群馬県のお隣の新潟県出身ということもあり、高崎という地を気に入ってくれました。将来の居住地に高崎という選択肢も十分にあり得るかもしれません。
 人生において「出会い」というものは素敵なものです。そこから培った友情や人間関係はお金ではどう頑張っても買えない一生の宝物です。そのチャンスは至るところにありそれを物にするかしないかは自信の行動にかかっていますという言葉でこの随想の結びにしたいと思います。

 さて、私からのバトンを受け取ることを承諾してくれたのは同年代の中西雄太くんです。何かで一緒だったというわけでもなく、サークルどころか学部すら違いますが、彼とは入学してすぐの宅飲みで知り合いました。学生時代はうちに来て一緒に料理をよくしたね。失敗も成功も大きい人間で、彼の魅力には惹かれるものがあります。よく寝ているイメージもありますが、自分のやりたい目標を見つけるとそれに向かってとことん打ち込み努力を絶やさない彼。将来は大物になると予想していたのがそろそろ当たりそうです。(笑)
また心身共にリフレッシュしに温泉と岩盤浴に行こう!
(千葉県流山市在住)

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