リレー随想
2023/06/16
No.238 2023年6月号 2015年卒 山野 拓巳
「就活だけ本気出した大学生活」はじめまして。
加藤太揮くんからバトンを受け取りました、地域政策学部2015年卒の山野拓巳と申します。
彼とは大学3年生頃に結婚式場のバイトを通じて仲良くなり、ともに就職活動に切磋琢磨、社会人になった後も良き友人という仲です。私は伊勢崎市にある祖母の家から大学に通う生活をしていましたが、友人に恵まれたおかげもあり、殆ど祖母の家に帰ることなく、友人の家を転々として過ごしていました。その内の1人が加藤くんです。(大学3年生からですが大学4年生の終わりまで入り浸っていました。)今思えば大迷惑ですね。笑
学生時代は振り返ってみると、結婚式場のバイトを4年間続けた以外は、遊んでばかりでした。単位は3年生前期に9割以上取っていた為、大学生活後半の1年半は勉強と無縁な日々でした。ゼミも、希望するゼミには入れず、最終的に歴史を研究するゼミに入ることになったものの、まるで興味が無いため苦痛以外の何物でもなかった記憶があります。比較的楽なゼミだったため、寧ろラッキーぐらいに思っていました。
そんなこんなで就職活動の時期を迎えました。高校受験、大学受験でも高望みし過ぎたが故に受験に失敗。希望する学校に入れなかった私は、就職活動も高望みに走り、ひたすら大手企業を受けました。面接苦手だな、人前だと上がりやすいなと思っていましたので(社会人になった今でも苦手意識が強いです)、面接の練習も含め、大手の面接が開始する前に希望しない企業もひたすら受け、面接する日々を過ごしました。
周りで必死に就職活動を積極的にする方がいなかったところ、加藤くんと就職活動の話で意気投合。彼はいわゆるガチゼミに入っており、意識も高く、文才と話術にも長けていた彼の力も借りながら、就職活動を進めました。
私の面接の内容が悪かったのか(学歴の壁があったのか、笑)、約3ヶ月間で50社以上の面接を積み重ね、最終的に満足いく総合機械メーカーから内定をもらうことができました。
現在は兵庫県神戸市(本社所在地は東京都千代田区)にある工場の経営管理部門で働いています。最初に出会った上司からは、「今どきの社会人は昔と違って大変だよ、社会の進むスピードが速くなりすぎているからな。俺らの時代だとネットなんてないから辞書弾いたり、電卓たたいたり、線引いて一日終わっていたわ」と言われたもので、今でもよく覚えています。2023年の今では「AI」の技術が遥かに進み、システムが文章を書いたり、質問へ回答してくれたり、絵を描いてくれたりなどの創作活動までしてくれるようになりました。今後、ますます適応力が求められる時代が来るのかと思うと、戦々恐々としてしまうと同時に、自分も精進しないとな、と思う日々を過ごしています。
最後に、社会人になってから思うのは、大学時代にもっとお金(特に株)のことを勉強しておけば良かった、英語話せる人って凄いな、です。ただ、そういうことは後になって気づくもので、当時の自分は精一杯、楽しんで過ごしていたと思うので悔いはありません。そして40代になったら、また、30代の時にあれをやっておけば良かったと思う日が来るのでしょう。笑
簡単ではありましたが私の随想は以上です。
次のバトンは、現在の私の勤め先に中途入社されてきて、同じ大学と知った三上諒くんを指名します。
(兵庫県明石市在住)
2023/05/29
No.237 2023年5月号 2015年卒 加藤太揮
「西へ南へ 縁を辿って」はじめまして。
中西 雄太くんからバトンを受け取りました、経済学部2015年卒の加藤太揮と申します。
彼とは学部もサークルも全く違うのですが、大学2年生の時に地域の魅力をアピールする映像制作の課外活動で彼と出会いました。この活動は群馬県内の大学生が集まって取材から映像企画、撮影・編集までを行うワークショップで、偶然同じ班になったことで彼と仲良くなりました。
前橋を舞台にCMを制作したのですが、その企画会議や編集作業の時に中西くんと意見がぶつかって徹夜したのは良い思い出です。その後は互いに広告業界で働く仲間として、卒業後も定期的に会っては都内の飲み屋をはしごしています。いつも「健全」なお友達付き合いです。(笑)
彼を含め、大学生時代に出会った人たちとの縁がつながり続けた結果、今は広告代理店からメーカーのマーケティング職に出向して、名古屋で暮らしています。正直、大学に入った当初は今の仕事に就くことや名古屋で暮らすとは、夢にも思っていませんでした。
地元の北海道を離れて高崎で大学生活を送る中で、文科系の部活動やマーケティング関連のゼミに参加しながら、主に課外活動やアルバイトに力を注いでいました。映像制作の課外活動もその一つで、中西くんやOBの方々との出会いが広告業界への興味を抱くきっかけとなりました。
ただ就職活動は大苦戦したため、転職で広告業界に入ることを決意し、知人が立ち上げたWEB制作会社に入社し上京しました。その後仕事を通してつながった縁で2度の転職を経て、結果的に現在の広告代理店で働く道を選びました。
気が付けば北海道(地元)→高崎→東京→横浜→名古屋と、縁に導かれるように生活拠点がどんどん西へ南へと向かっています。ちなみに結婚も仕事を一緒にした方からの紹介なので、プライベートでもこの縁が絡んでいます。(笑)
これまでの「縁」を当たり前のものとせずに感謝しながら、これからも新たな「縁」を楽しみにしています。そして、自分も他の人の「縁」となり、新しいつながりやチャンスを提供できる存在を担っていきたいと思っています。
余談ですが、先月高崎で仕事することがあり大学卒業以来6年ぶりに高崎の地を歩いた矢先にリレー随想のお話をいただいたので、これも何かの「縁」だったのかと思います。
さて、次のバトンを引き受けてくれたのは、同期の山野拓巳くんです。部活動きっかけで知り合い、結婚式場のアルバイトを通じて仲良くなり、就職活動で大いに助けてもらい、新卒で勤めた会社の知人との縁をつないでもらった友人です。
今では良きパパ仲間になったので、子ども同士の「縁」ってやつも歓迎です(笑)
(愛知県名古屋市在住)