リレー随想

2023/07/21
No.239 2023年7月号 2014年卒 三上 諒
「Re: make」

 山野拓巳さんからバトンを受け継ぎました、経済学部2014年卒の三上諒と申します。現在は兵庫県神戸市にて、機械メーカで営業職をしております。

 山野さんとは私が2020年に中途入社した職場で、中々衝撃的な出会いをさせて頂いたと感じております。入社後間もないある日、少し顔見知りだった山野さん&山野さんの上司の方に、無人の会議室へ突然呼び出されてひと言。「三上さん、ちなみに学籍番号は何番だった??」
 東京本社の会社とは言え、神戸の片田舎の工場に経大出身者が3人も・・・一瞬軽く引きましたが、とても嬉しい気持ちになったことを憶えています。その後しっかり3人で神戸三扇会もさせて頂きました。世の中狭いものですね。

 さて、私が経大へ入学した経緯ですが、父の転勤で住んでいた岩手県内から、高校卒業を機に幼少期を過ごした埼玉や都内近郊の大学へ進みたいと考えていました。ただ東北の高校生にはありがちなのですが・・・学力の高い壁に押し戻されて都心部には辿り着けず。悲しい現実を受け入れ、北関東・高崎の地で、失意の中で学生生活をスタートすることとなりました。

 ここまで見ると高崎ディスりのように思われるかもしれませんが、改めて4年半の学生時代を振り返ると、本当に経大生で良かったと感じております。
 私は準硬式野球部に所属していましたが、部活をしながらオフの時間で遊び呆けていた記憶しかありません。肝心の部活も残念ながらレギュラーにはなれませんでしたが、試合ではキャプテンの代理でチームにサインを出しつつ、皆で笑いながら野次を飛ばすポジション。ある意味誰よりも試合を楽しんでいました。

 “大学生は人生の夏休み”との格言がありますが、完全に同意です。面白ければ大体何でもOK!の明るい価値観が培われたのもこの頃でした。(社会に出てからはある程度直しております)
 このように学生の本分は多少見失いつつも、似たような傾向の友人、諸先輩、後輩の方々にも恵まれ楽しく過ごさせて頂きました。経大を通じて出逢えて本当に良かったと思っております。

 取り留めのない話で畏れ多いですが、私が申し上げたいことをひとつだけ。昨今のコロナショックで、旧知のご友人との交流が一旦ストップしてしまっている方々も居られるかと思います。私のような若輩者の立場で僭越ですが、情勢が多少落ち着きつつある今、思い切ってご連絡を取られてみてはいかがでしょうか?
 他愛のない内容でも、古い友人から貰う連絡は大体懐かしく嬉しいものです。それと同じように、こちらからの連絡もご友人は同じ想いで受け止めてくれる筈です。(保証はできませんが)
 中々気軽にとはいかないかもしれませんが、疎遠になった縁を再度戻されるには良い頃合になってきたのではないかと感じています。
私自身、コロナショックに加えて友人達も結婚・出産などで環境が変わってきたこともあり、中々集まることができない期間が続いていました。その中でも、最近何度か有志の方々に機会を作って頂いた中で、改めて友人達と過ごす時間はとても楽しく、また毎回新たな発見もある有意義なものだと心の底から感じております。

 最後に、リレーのバトンは準硬式野球部同期の西尾弘昌くんに受け継いで頂けました。彼は紆余曲折を経て、年始からオーストラリアへ語学留学に旅立っています。日本語を思い出しつつ、色々と当時の記憶やラリア生活を書き綴って頂けると嬉しいです。
(兵庫県神戸市在住)
2023/06/16
No.238 2023年6月号 2015年卒 山野 拓巳
「就活だけ本気出した大学生活」

 はじめまして。
 加藤太揮くんからバトンを受け取りました、地域政策学部2015年卒の山野拓巳と申します。

 彼とは大学3年生頃に結婚式場のバイトを通じて仲良くなり、ともに就職活動に切磋琢磨、社会人になった後も良き友人という仲です。私は伊勢崎市にある祖母の家から大学に通う生活をしていましたが、友人に恵まれたおかげもあり、殆ど祖母の家に帰ることなく、友人の家を転々として過ごしていました。その内の1人が加藤くんです。(大学3年生からですが大学4年生の終わりまで入り浸っていました。)今思えば大迷惑ですね。笑

 学生時代は振り返ってみると、結婚式場のバイトを4年間続けた以外は、遊んでばかりでした。単位は3年生前期に9割以上取っていた為、大学生活後半の1年半は勉強と無縁な日々でした。ゼミも、希望するゼミには入れず、最終的に歴史を研究するゼミに入ることになったものの、まるで興味が無いため苦痛以外の何物でもなかった記憶があります。比較的楽なゼミだったため、寧ろラッキーぐらいに思っていました。
 
 そんなこんなで就職活動の時期を迎えました。高校受験、大学受験でも高望みし過ぎたが故に受験に失敗。希望する学校に入れなかった私は、就職活動も高望みに走り、ひたすら大手企業を受けました。面接苦手だな、人前だと上がりやすいなと思っていましたので(社会人になった今でも苦手意識が強いです)、面接の練習も含め、大手の面接が開始する前に希望しない企業もひたすら受け、面接する日々を過ごしました。
 周りで必死に就職活動を積極的にする方がいなかったところ、加藤くんと就職活動の話で意気投合。彼はいわゆるガチゼミに入っており、意識も高く、文才と話術にも長けていた彼の力も借りながら、就職活動を進めました。
 私の面接の内容が悪かったのか(学歴の壁があったのか、笑)、約3ヶ月間で50社以上の面接を積み重ね、最終的に満足いく総合機械メーカーから内定をもらうことができました。

 現在は兵庫県神戸市(本社所在地は東京都千代田区)にある工場の経営管理部門で働いています。最初に出会った上司からは、「今どきの社会人は昔と違って大変だよ、社会の進むスピードが速くなりすぎているからな。俺らの時代だとネットなんてないから辞書弾いたり、電卓たたいたり、線引いて一日終わっていたわ」と言われたもので、今でもよく覚えています。2023年の今では「AI」の技術が遥かに進み、システムが文章を書いたり、質問へ回答してくれたり、絵を描いてくれたりなどの創作活動までしてくれるようになりました。今後、ますます適応力が求められる時代が来るのかと思うと、戦々恐々としてしまうと同時に、自分も精進しないとな、と思う日々を過ごしています。

 最後に、社会人になってから思うのは、大学時代にもっとお金(特に株)のことを勉強しておけば良かった、英語話せる人って凄いな、です。ただ、そういうことは後になって気づくもので、当時の自分は精一杯、楽しんで過ごしていたと思うので悔いはありません。そして40代になったら、また、30代の時にあれをやっておけば良かったと思う日が来るのでしょう。笑

 簡単ではありましたが私の随想は以上です。

 次のバトンは、現在の私の勤め先に中途入社されてきて、同じ大学と知った三上諒くんを指名します。
(兵庫県明石市在住)

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