リレー随想

2023/05/29
No.237 2023年5月号 2015年卒 加藤太揮
「西へ南へ 縁を辿って」

はじめまして。
中西 雄太くんからバトンを受け取りました、経済学部2015年卒の加藤太揮と申します。

 彼とは学部もサークルも全く違うのですが、大学2年生の時に地域の魅力をアピールする映像制作の課外活動で彼と出会いました。この活動は群馬県内の大学生が集まって取材から映像企画、撮影・編集までを行うワークショップで、偶然同じ班になったことで彼と仲良くなりました。
 前橋を舞台にCMを制作したのですが、その企画会議や編集作業の時に中西くんと意見がぶつかって徹夜したのは良い思い出です。その後は互いに広告業界で働く仲間として、卒業後も定期的に会っては都内の飲み屋をはしごしています。いつも「健全」なお友達付き合いです。(笑)

 彼を含め、大学生時代に出会った人たちとの縁がつながり続けた結果、今は広告代理店からメーカーのマーケティング職に出向して、名古屋で暮らしています。正直、大学に入った当初は今の仕事に就くことや名古屋で暮らすとは、夢にも思っていませんでした。

 地元の北海道を離れて高崎で大学生活を送る中で、文科系の部活動やマーケティング関連のゼミに参加しながら、主に課外活動やアルバイトに力を注いでいました。映像制作の課外活動もその一つで、中西くんやOBの方々との出会いが広告業界への興味を抱くきっかけとなりました。
 ただ就職活動は大苦戦したため、転職で広告業界に入ることを決意し、知人が立ち上げたWEB制作会社に入社し上京しました。その後仕事を通してつながった縁で2度の転職を経て、結果的に現在の広告代理店で働く道を選びました。

 気が付けば北海道(地元)→高崎→東京→横浜→名古屋と、縁に導かれるように生活拠点がどんどん西へ南へと向かっています。ちなみに結婚も仕事を一緒にした方からの紹介なので、プライベートでもこの縁が絡んでいます。(笑)
 これまでの「縁」を当たり前のものとせずに感謝しながら、これからも新たな「縁」を楽しみにしています。そして、自分も他の人の「縁」となり、新しいつながりやチャンスを提供できる存在を担っていきたいと思っています。
 余談ですが、先月高崎で仕事することがあり大学卒業以来6年ぶりに高崎の地を歩いた矢先にリレー随想のお話をいただいたので、これも何かの「縁」だったのかと思います。

 さて、次のバトンを引き受けてくれたのは、同期の山野拓巳くんです。部活動きっかけで知り合い、結婚式場のアルバイトを通じて仲良くなり、就職活動で大いに助けてもらい、新卒で勤めた会社の知人との縁をつないでもらった友人です。
 今では良きパパ仲間になったので、子ども同士の「縁」ってやつも歓迎です(笑)
(愛知県名古屋市在住)
2023/04/29
No.236 2023年4月号 2015年卒 中西 雄太
「幸運とは」

 高橋利宗くんからバトンを受け取りました地域政策学部2015年卒の中西雄太です。サークルどころか学部すら違いますが、彼とは入学してすぐの宅飲みで知り合いました。学生時代は一緒に料理をよくしたね。(ここまで高橋君の文章コピペです。)
よく彼の家に遊びに行ったきり泊まらせてもらうなど、しょっちゅう入り浸っていました。寝床を提供してくれて本当にありがとう。
(卒業年次が1年違う事には触れないでください。)

 さて私は現在、東京の広告代理店にて営業職に従事しております。先日、同じ会社に歴代4名ほどしかいないOBの内、2名の先輩との会食機会がありました。お二人とも今年から部長になられ、東大・京大・早慶卒が数多くいる社内でも仕事の出来る方だとちょっとした有名人でございます。
 噂には聞いておりましたが、まさか実際に同じ会社で働けるとは夢にも思いませんでした。そして社内で私も今年ちょっとした挑戦をしておりますが、同じ大学のよしみもあり、本当に良くしてくださっております。高崎経済大学に通えて、本当に幸運だと感じています。

 正直に申し上げますと、私は第一志望大学ではなかった為、入学が嫌で嫌で仕方ありませんでした。高崎で一人暮らしをはじめた日の事は今でも鮮明に覚えています。自転車が倒れてしまいそうなからっ風に、長崎からずっと行きたかった東京を通り越して群馬まで来てしまった寂しさに狂いそうでした。父親に「今すぐやめたい」とLINEすることも多々ありました。
 今でこそ親や友人やお世話になった方に失礼な話ですが、当時はまだ考えも稚拙で東京への憧れが強くあり、なかなか自分の居場所を受け入れる事が出来ませんでした。ただ高崎では人生で初めて彼女が出来たり、アルバイトの厳しさや楽しさを学んだり、また、街に出て多くの人生の先輩と出会う事が出来ました。

 社会に出てからは2度転職をしております。気付けば、社会に出てからの8年間、必死にあがいて、もがいて来ました。変化が速く、労働時間も長く、かつ人間関係も厳しい広告業界にいながら、何とか食らいつきながらここまで仕事をしてきました。そんな中、同じ会社で私の挑戦を応援してくださるOBに出会える事が出来たのです。
 先日初めて父親に「高崎経済大学に通わせてくれてありがとう」とLINEしました。
「今更かい(笑)」と返信が来ました。

 さて、それから幸運とは日常への感謝だと考えるようになりました。高崎経済大学に通えた事が今になって強く幸せだと強く感じる様になりました。また、辛かった仕事や日々の厳しさは今を手繰り寄せた道標になっていました。幸運とは、決して快楽にふける事や、派手に欲望が満たされることでなく、当たり前の日常、否、一見当たり前に感じる事に感謝出来る事だと思います。もっというと苦しい、しんどい、嫌だと思えること事すらも、実は自分を高めてくれる幸運かもしれません。

 余談ですが仕事以外にも漫才、ダンス、ラップなど趣味でも多くの挑戦を続けております。まだまだ初心者から抜け出せませんが、毎日1mmの成長を続け、苦しみ楽しみながらも、あがき、もがき続け、いつかステージからの最高の景色を見たいと思っております。

 一見地味で単調に見える日々に感謝を。
 そして関わってくれるすべての方にありがとうの気持ちをもって締めたいと思います。

 次にバトンを渡すのは同年代の加藤太揮君です。彼とはメディアキャンプという映像制作の課外活動で出会いました。今でも同じ広告業界で切磋琢磨する仲です。また一緒に悪さしよう!(笑)
(東京都在住)

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