リレー随想
2024/08/29
No.252 2024年8月号 2015年卒 小池雅章
「やるかやらないかは自分しだい」同学年の硬式野球部でともに汗を流した石倉からバトンを引き継ぎました、経済学部2015年卒の小池と申します。
石倉のコラムで体育で単位を落としたと言われていますが、石倉はよく冗談をいいます。待ち合わせ時間にはいつも遅れて来て、電話でトイレ終わったら行くと答えてから2時間来ない男です。
信じるか信じないかはお任せします。
私は、大学卒業後に地元山形県鶴岡市へ帰り地方銀行に7年務めましたが、令和5年度に転職し現在は公務員として働いています。おそらく高経OBには同じような経歴の方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
高崎経済大学での日々を思い出すと、私の人生のターニングポイントが大学1年次の時にあったと感じます。
それは、1年次前期の成績表が出た時でした。私は硬式野球部の同期の中で1番多くの単位を落としていたのです。
驚きました…。
みんな全然勉強出来ていないと…手応えが無いと…ずっと言っていたんです。なのにみんなは全然落としていませんでした。
その時に、「あぁ、こいつらはクソだな。これが進学校のやり方か。」と非常に悔しい思いをしたことを今でも覚えています。
そこから私の扱いはとても酷いものとなりました。
私のアパートは溜まり場になり、酒で潰されたり、出来もしない一発ギャグで滑らされたり、SNSを乗っ取られてツイートされ地元の友人達から引かれてしまうなど大変な日々を過ごすようになりました。
そして2年次になると、いつの間にか合鍵が2本作られていました。敬語を使えば先輩に何しても良いと思っている後輩の岡三○郎君が、「ホームセンターで小池さん家の合鍵2本2,000円で作れましたよ!安くないですか?!」と嬉々として報告してきた時は戦慄したものです。
その後は、ベルクでの深夜バイトが終わった後に帰宅すると誰かが鍋パした残骸が残っていたり、いつの間にか洗濯機に入っていた同級生のユニフォームやパンツを洗濯して干したりとより大変な日々を過ごすことになりました。
一度の失敗でこんなことになってしまうのですね。性懲りも無く単位を落とし続けていたことが拍車をかけていたのかも知れませんが…。
こんな私ですが、社会人になり少し考え方が変わったことがあります。それは勉強が大事だということに気づいたのです!
そこで私は26歳の時に一念発起し、働きながら通うことが出来る地元の大学院に入学しました。日中は働き、夜間に学校へ通う日々を過ごし、2年後に修士号を修了したのです。
信じられますか?!体育の単位を落とした私がですよ?!
大学院では、主に公益やまちづくりに関して学び、様々な経験と知識を得ることができました。その上で、改めて地元のために自分の力を活かすことが出来ないかと考え、最も実働として地元に貢献できる公務員へと転職をしました。
現在は、市役所内のPCやシステム、ネットワークを管理する場所に配属され、学んだことや決意したこととは全く関係ない仕事をしています。たぶん面接でやりたいこととか上手く伝えられなかったんですね、きっと。
今度も自分がやりたいことに純粋に、やるかやらないかは自分が決めるんだという気持ちを持っていきたいと思います。
拙い文章大変失礼しました。
さて、次のリレーは我らが硬式野球部のキャプテンである齋藤拓也さんにお願いしたいと思います。高校時代は甲子園に出場しスリーベースを打ったスーパースターです。
みなさん、ぜひご期待ください!
(山形県鶴岡市在住)
2024/07/26
No.251 2024年7月号 2015年卒 石倉 勇毅
『弱い人の気持ち』大先輩の山中さんからバトンを受け継ぎました、経済学部経営学科2015年卒、石倉と申します。251走者書かせていただきます。山中先輩のタイトルが『ギリギリで〜』だったのに釣られて、私の投稿もギリギリになってしまいました、申し訳ございません。
大学4年間と言われて思い出されることといえば、なんと言っても部活です。硬式野球部に所属し、初の木製バットで手を痛めたり、買ってすぐのバットを折ったり今となっては良い思い出です。大事な試合でのサヨナラエラーをしたり、2部3部入れ替え戦で敗れるなど、悔しい思いもたくさんしました。幹部学年となり主務として練習試合のセッティングをしたり、日程の調整をしたり、とても勉強になることばかりでした。
実家は群馬県の太田市にありますが、父親の一人暮らしを経験しろ!という一声により、大学近く(下小塙町)で一人暮らしをさせてもらいました。ユニフォームの洗濯、自炊等母親の大変さを知りました。
ラーメン屋でのバイトも経験。お客様の対応、忍耐力、餃子の焼き方を学びました。
そして大学生といえばやはり勉学。単位を落としまくり、自らの過大評価と現実を思い知りました。ゼミも第一志望落選、地味に挫折しましたが、結果的に入ったゼミは楽しかったです。授業で印象深いのは体育。池内、内堀に出会えたのもここ。体育単位落とす人とか初めて見たなぁ(もし他にもいらっしゃったらすみません(笑)悪気はないです)
酸いも甘いも様々な経験をすることができ、山中さんにお褒めいただいた鋼のメンタルは、前述の大学生活で培われたと言っても過言ではありません。
現在は群馬県内の信用金庫で働いておりまして、バトンを受け継いだ大先輩の山中先輩とも約2年間一緒に働かせていただきましたとても優しい先輩でした本当にありがとうございました。
同期に遅れること数年…9年目にしてようやく主任という役目を任せていただけることになりました。決して順調ではなく、落ちこぼれや、出来ないやつというレッテルを貼られてきました。ですが現在、責任ある仕事を任されて10年目にして1番やりがいを感じております。
好きな漫画に『進撃の巨人』があり、その中で好きな言葉があります。
マルコがジャンに言う言葉で、
「強い人ではないから、弱い人の気持ちがよく理解できる」
完璧な人なんていない。
大学生活でも就職後も数多の挫折を味わった自分だからこそ理解できることがあると思います。今後は挫折を味わった人に手を差し伸べられるような、そういう人間、先輩になれるように日々努力していきたいと思います。
ここまで長々と綴ってしまいました、そろそろ締めさせていただきます。
人生いつ終わるかわからない、
こいついきなりぶっ込んできたな!と思われるかもしれませんが、
今年の7月で33歳になり、最近ではもっぱら、やらずに後悔したくないという気持ちが強く、あらゆることに挑戦をしていきたいなと思っています。
来たる2024.11.3、私石倉はぐんまマラソンで、フルマラソンを走ります。MAX10kmしか走ったことが無い男がです!
251番目のリレー走者がなんとフルマラソン走ります(笑)
生きて帰ってきます!(←大袈裟すぎ)
そして、走り切った暁にはもう一度想いを伝えたい人がいます。卒業後10年の節目にいただいた今回の機会、なんらかのきっかけにしたいと思います。ありがとうございました。
次のバトンは、大学の同級生であり、同じ硬式野球部の人気者、小池雅章です。前述の体育の授業を落とした人間です。先生とバドミントンのダブルスを組んで仲良くやっていたのに単位を落とす人間です。彼は様々な経歴があり、自分より面白い話をいっぱい持っていると思うので、聞いてあげてください。私もかなり楽しみです。よろしくな小池、いつもありがと。
(群馬県太田市在住)