リレー随想

2024/01/19
No.246 2024年2月号 2005年卒 赤津義和
「偶然」と「ご縁」に感謝

 職場の後輩で前走者の塚本真輔君からバトンを受け取りました、地域政策学部2005年卒の赤津義和と申します。塚本君と私は茨城県にある公益財団法人の職員で、私は地元日立市にある公営の国民宿舎で副支配人をしております。

 偶然にもお互いに高経大卒ということが判明し、リレー随想に参加させていただくご縁をもらいました。思えば高経大に入学する時から現在に至るまで、様々な「偶然」と「ご縁」の連続でした。

 高経大に入学する前は、都内にある大学(2024年正月の箱根駅伝で優勝した大学です)に籍がありました。毎日渋谷で遊び歩いていて、やりたいことも特に無く、将来のことなど全く考えずに過ごしていたところ、たまたま何かのメディアで「日本初の地域政策学部」という記事を目にし、「これは面白そうだ!」と直感し、受験を決意。どうやら公立大学なので1次試験はセンター試験を受けなければならないらしい、ということで、締め切り間際にぎりぎり滑り込みでセンター試験の出願をしました。もちろん試験対策などゼロなので、センター試験の会場で、隣りの席の女子高生に「日本史Aと日本史Bの違いってなに?」と聞いたら、とても驚いてました。
 2次試験前日には宿の予約も取らずに高崎市に乗り込み、たまたま見つけた駅前の「豊田屋旅館」という宿にアポ無しで泊めていただきました。あまりにも古くて渋い旅館だったため、本試験前日にもかかわらず、旅館の創業からの歴史などを詳しく教えていただいたことを覚えています。ちなみに翌朝の高経大までの行き方も知らなかったので、バス乗り場なども豊田屋の女将さんに教えてもらいました。

 高経大に入学した後は地域政策に関連する勉強に邁進する予定だったのですが、群馬県に引っ越してきた直後にうっかり「登利平」の鳥めしと「おおぎや」の味噌ラーメンを食べてしまい、その美味しさに感動し、在学中はバイトと食べ歩きに全てを捧げてしまいました。
 「だるま大使」のとんこつラーメン、「シャンゴ」や「ボンジョルノ」のパスタ、「カレーム」や「プチール」のケーキ、「GGC」のハンバーグ、「栄寿亭」のソースカツ、「おぎのや」の峠の釜飯、「珈琲哲学」のコーヒー、「レストランシャクナゲ」の洋食、渋川市「永井食堂」のもつ煮、伊香保の水沢うどん(私は田丸屋派です)、「原嶋屋」の焼きまんじゅうなどなど、今でも懐かしく、また行きたくなる店ばかりです。
 群馬県に来たばかりのある日の夕方に、友人から「朝飯に行こう!」とメールがあり、朝ご飯のことかと思って何度か断っていたら、群馬県内では「朝飯(ちょうはん)」と読むらしく「朝鮮飯店で焼肉を食べに行こう」という意味だと知ってからは、朝鮮飯店で焼肉が一番のごちそうになりました。
 また、当時は碓氷峠を越えた所にあった軽井沢入口の料金所が撤廃され、軽井沢にも簡単にアクセスできることも魅力でした。頻繁に軽井沢の飲食店に出没していたため、お店の人から別荘に長期滞在している人だと勘違いされたり、この食べ歩きがご縁で軽井沢にある某チーズ工房の創業30周年パーティーに招待していただいたこともありました。

 高経大を卒業してからは地元茨城県に戻り、ホテル業の知識が全く無い状態で現在の勤務先である国民宿舎に採用されました。日々接遇や観光の知識などを学んでいくなかで、令和元年の「いばらき国体」開催にあたり、勤務先が天皇皇后両陛下のご昼食会場として指定され、なんと私が両陛下の担当に任命されてしまいました。目の前で両陛下か歓談されている場でおもてなしをさせていただいたことは、一生に一度の貴重な経験でした。

 たまたま「地域政策学部」の記事を目にして東京から群馬に引っ越し、全く勉強せずにバイトと食べ歩きだけして地元茨城県に戻り、偶然にも地域観光の拠点になっている宿泊施設に就職し、利用客の皆様に県内各地の観光スポットや地元の魅力を紹介することで、微力ながら地域振興の一翼を担っていることが仕事になっている。いつの間にか地域政策学部の設立理念のような業務をしていることに不思議なご縁を感じます。
 この随想を読んでくれている高経大卒の皆様も茨城県に来る機会がありましたら、宿泊先は日立市にあるウミウで有名な国民宿舎でお願いいたします(笑)

 結びに、この「偶然」と「ご縁」には、とびきりのエピソードがあります。前走者の塚本君から「後日、リレー随想について事務局から連絡がきます」とメールがあり、1月初旬に東京三扇会の事務局から寄稿依頼のメールがきました。
送り主の担当者は・・・なんと!高校の同級生ではありませんか!
「こんな偶然とご縁があるのか」と、驚くとともに、とても嬉しい気持ちになりました。

 さて、そろそろ次の走者にバトンをつなぎたいと思います。高経大在学中はサークル活動などもしていなかったため、大学内ではあまり居場所がありませんでした。そんな中で唯一落ち着ける場所がE.S.S.(英語研究部)の部室でした。授業の合間に部室でおしゃべりしたり、昼寝をしたり、試験情報をもらったり、大変お世話になりました。ちなみにE.S.S.には所属してません(笑)
そのE.S.S.でご縁をいただいた、入澤健太郎君にバトンを渡します。健太郎よろしくね!
(茨城県日立市在住)
2024/01/04
No.245 2024年1月号 2016年卒 塚本 真輔
「10年越しに...」

 前走者の西彩音さんからバトンを引き継ぎました、経済学部2016年卒の塚本真輔と申します。卒業後は地元茨城に戻り、地元の金融機関に就職。昨年、県の出資法人に転職し、慌ただしい毎日を過ごしています。

 前走者の西さんとは体育会弓道部の同期で、金融機関に就職したもの同士として今も仲良くさせてもらっています。新歓で初めて会った時はギャルだった西さんも、金融機関でのキャリアを重ね、今では素敵なオトナ女子となり、時の流れを感じます。お互い今よりもっと素敵な30代を目指していきましょう!これからもよろしく!!

 センター試験で惨敗し、高校の学年主任に「とりあえず中期を受けろ!」と言われ、受験会場に行く特急の中で見ていた地理の参考書の南米大陸が偶然試験に出たことでこの大学に合格。それからの4年間は本当にあっという間だったなあと思います。

 私の大学生活の中心は、部活の弓道が中心でした。入学当初は、文化系のお洒落な生活をするぞ!と意気込んでいましたが、新歓での居心地の良さからずるずると体育会の弓道部に入部。入部当初は異常に面倒くさい部内の規則と上下関係に戸惑いましたが、3年間でたくさんの大会に出場し、日本武道館やガイシホールなど、コンサートでしか行かないであろう大会場で弓を引くことが出来ました。部活の同期や後輩にも恵まれ、飲んで遊んでまた飲んでの繰り返しだったなと思います。

 さて話は変わって、まもなく前橋にIKEAが10年越しに開店するというニュースを見ました。IKEAは好きな映画の劇中で主人公カップルが印象的なデートをしたところで、それに憧れていた大学時代の私にとっては、開店したら絶対に行きたいと思っていた場所でした。しかし、2013年(当時2年生)の出店発表以降これと言った進展はなく、もどかしい想いを残し大学卒業。社会人生活の中で、IKEAの事もすっかり忘れてしまっていましたが、ここにきてまさかの開店。遂に行けるのかということで、個人的にとても感慨深いものがあります。今思えば、新三郷のIKEAにでも行っとけよ!と思いますが、すぐには叶わないことも、いつかは叶うということで、この随筆は終わりにしたいと思います。

 バトンは、会社の上司である赤津義和さんに繋ぎたいと思います。赤津さんは私が赤津さんの部署を訪れた際に、同じ大学だよと声を掛けて下さいました。まさか、転職した会社に大学の先輩がいらっしゃるとは!! とても嬉しかったです。
赤津さん、よろしくお願いします。
(茨城県在住)

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