リレー随想

2025/02/25
No.258 2025年2月号 2020年卒 穐本 知哉
「卒業後も広がる高経同窓生の輪」

 同窓会のご縁でバトンを受け取りました、経済学部2020年卒の穐本知哉と申します。

 高校の担任の先生の勧めで高崎経済大学を受験して、2016年4月に入学いたしました。埼玉県出身ですので旅行で群馬県を訪れることは度々ございましたが、いざ進学・初の一人暮らしとなると毎日が慌ただしく過ぎてまいりました。そんな慌ただしい日々も良き仲間に囲まれ、時に励まし合い、アパートのご近所さんにも支えられ、日々の出来事が新鮮で退屈な気持ちを全く感じない毎日を過ごすことができました。
 また、在学中は海外研修の支援プログラムを活用させていただき、米国・ウェスタンミシガン大学へ語学研修、中国・大連へインターンシップに行くことができ、派手ではないですが、非常に濃い学生生活を過ごすことができました。

 まもなく大学卒業から5年の月日が過ぎようとしております。
 私が卒業した2020年3月は新型コロナウイルスが日本で数名の感染が見つかり始めた頃でした。他大学が卒業式を中止する中で、大学事務局のご尽力で卒業式は開催され、仲間たちと最後の大学の思い出を作ることができましたが、直後に緊急事態宣言が発出されるなど社会全体が特に混乱している最中でした。

 東京で就職して本日まで勤め続けておりますが、まだコロナ感染の波が度々押し寄せる2021年頃、偶然大学ホームページで開催のお知らせを目にした東京三扇会(同窓会の東京支部)のオンライン総会に出席いたしました。
 以後同じ母校を持つさまざまな世代の方々と関わることができればと思い、度々東京三扇会の活動に参加させていただき、総会運営や学生向けイベントの企画・運営などに関わらせていただいております。

 就職活動におけるOBOG訪問などのリサーチ不足が今更ながら露呈してしまうのですが、東京三扇会での活動を通して同じ会社に務める高崎経済大学の先輩方にもお会いすることができました。そして想像以上に同じ会社に高崎経済大学卒の社員が多いことに驚きました。
 また他業界にも勤められている大先輩にもお会いすることができ、特に同じ埼玉ご在住の大先輩の方々とは赤羽や板橋などで度々お酒の席をご一緒させていただいております。

 大学卒業以降も、こうして高崎経済大学の同窓生の方々との交友関係の輪が広められていることは嬉しく感じております。今後も同窓会や高崎経済大学へ貢献できることがあれば微力ながら携わっていければと思っております。
(埼玉県所沢市在住)
2025/01/14
No.257 2025年1月号 1978年卒 田中 充春 
「大都会高崎へ」

 東北の田舎から出て、当時は大都会だと思った高崎で暮らした50年前、思いつくまま何の脈絡もなく書きました。

 大学進学は授業料、住居費、生活費を考えると、とても首都圏の私立は望めないので大学案内の本を捲っていたら、年間授業料35,000円(国立より1,000円安い、弟の高校の授業料より安かった)、合格して寮の案内を貰ったら寮費月3,000円二食付き(食事は金額で想像がつく内容)で仕送りが10,000円もあれば十分生活できました。
 
 寮は自炊ができる様な施設はなくガスコンロが1つあるだけ、カップラーメンはまだ一般的では無かったし、貧乏学生には高価だったので、大きな鍋でインスタントラーメンを数個同時に作って先輩と夜食、コーヒーカップと箸を持って鍋を囲んで(コーヒー)カップラーメン、食い負けると無くなるので熱くても夢中で食べました。
 夏休み等には寮で食事がでなかったので、実家から送って貰った米を炊いて、おかずは鯖缶に納豆、家に帰らなかった人達で食事、納豆が嫌いだった関西人が他に食うものがなくて仕方なく食べていたら納豆が好きになりました。
 生活に関する知識が無かったので、入学式で着たスーツが寮であっという間に虫に食われてしまって穴だらけ、入学式以外着る機会もなかったし高い買い物でした。
 
 建物や生徒数に関して大学の規模は少し大きな高校位、慣れると見知った人が多くなり、寮に入った事もあり寂しいと感じた事はありませんでした。小規模な大学の良い所です。

 La maisonという店のウィンドウ、カタカナ文字のラメイゾンの音の響きだけでラーメン屋さんと誤解して、都会では洒落た名前をラーメン屋さんに付けるんだなと思って覗いたらお菓子屋さんでした。

 気候は冬でも雪が降らないでからっ風、見える山には雪があるのに麓には雪が降りてこない不思議、夕立も初めての経験でした、田舎ではめったに夕立というものは無かったので。晴れていたので窓を開けたままで授業に出ていたら突然の夕立、今まで雲一つなく晴れていたのにどうして。

 ゴキブリも見た事がありませんでした。寮の北海道の先輩はゴキブリをカブトムシだと言っていました、カブトムシは北海道にはいないと言っていたので見た事がなかったのかもしれません。寮は餌が無かったからか出なかったので、板橋に住んでいた友達のアパートに遊びに行って初めて見ました。初めてなのと箒で追い出していたので少しユーモラスな動きだなとさえ思ったのですが、3年生で寮を出て北高崎駅近くのアパートで暮らすようになってからうようよと出て、隙間を塞いでもどこかから入って来る不気味さ、更に飛んで部屋に入って来るなんて、網戸なんてものが無かった当時、飛んでくるのは防ぎ様がありません。
(東京都国分寺市在住)

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