リレー随想

2024/07/26
No.251 2024年7月号 2015年卒 石倉 勇毅
『弱い人の気持ち』

 大先輩の山中さんからバトンを受け継ぎました、経済学部経営学科2015年卒、石倉と申します。251走者書かせていただきます。山中先輩のタイトルが『ギリギリで〜』だったのに釣られて、私の投稿もギリギリになってしまいました、申し訳ございません。

 大学4年間と言われて思い出されることといえば、なんと言っても部活です。硬式野球部に所属し、初の木製バットで手を痛めたり、買ってすぐのバットを折ったり今となっては良い思い出です。大事な試合でのサヨナラエラーをしたり、2部3部入れ替え戦で敗れるなど、悔しい思いもたくさんしました。幹部学年となり主務として練習試合のセッティングをしたり、日程の調整をしたり、とても勉強になることばかりでした。
 
 実家は群馬県の太田市にありますが、父親の一人暮らしを経験しろ!という一声により、大学近く(下小塙町)で一人暮らしをさせてもらいました。ユニフォームの洗濯、自炊等母親の大変さを知りました。
 ラーメン屋でのバイトも経験。お客様の対応、忍耐力、餃子の焼き方を学びました。
 そして大学生といえばやはり勉学。単位を落としまくり、自らの過大評価と現実を思い知りました。ゼミも第一志望落選、地味に挫折しましたが、結果的に入ったゼミは楽しかったです。授業で印象深いのは体育。池内、内堀に出会えたのもここ。体育単位落とす人とか初めて見たなぁ(もし他にもいらっしゃったらすみません(笑)悪気はないです)
 酸いも甘いも様々な経験をすることができ、山中さんにお褒めいただいた鋼のメンタルは、前述の大学生活で培われたと言っても過言ではありません。

 現在は群馬県内の信用金庫で働いておりまして、バトンを受け継いだ大先輩の山中先輩とも約2年間一緒に働かせていただきましたとても優しい先輩でした本当にありがとうございました。
 同期に遅れること数年…9年目にしてようやく主任という役目を任せていただけることになりました。決して順調ではなく、落ちこぼれや、出来ないやつというレッテルを貼られてきました。ですが現在、責任ある仕事を任されて10年目にして1番やりがいを感じております。

 好きな漫画に『進撃の巨人』があり、その中で好きな言葉があります。
マルコがジャンに言う言葉で、

「強い人ではないから、弱い人の気持ちがよく理解できる」

完璧な人なんていない。
大学生活でも就職後も数多の挫折を味わった自分だからこそ理解できることがあると思います。今後は挫折を味わった人に手を差し伸べられるような、そういう人間、先輩になれるように日々努力していきたいと思います。

 ここまで長々と綴ってしまいました、そろそろ締めさせていただきます。
人生いつ終わるかわからない、
こいついきなりぶっ込んできたな!と思われるかもしれませんが、
今年の7月で33歳になり、最近ではもっぱら、やらずに後悔したくないという気持ちが強く、あらゆることに挑戦をしていきたいなと思っています。
 来たる2024.11.3、私石倉はぐんまマラソンで、フルマラソンを走ります。MAX10kmしか走ったことが無い男がです!
251番目のリレー走者がなんとフルマラソン走ります(笑)
生きて帰ってきます!(←大袈裟すぎ)
そして、走り切った暁にはもう一度想いを伝えたい人がいます。卒業後10年の節目にいただいた今回の機会、なんらかのきっかけにしたいと思います。ありがとうございました。

 次のバトンは、大学の同級生であり、同じ硬式野球部の人気者、小池雅章です。前述の体育の授業を落とした人間です。先生とバドミントンのダブルスを組んで仲良くやっていたのに単位を落とす人間です。彼は様々な経歴があり、自分より面白い話をいっぱい持っていると思うので、聞いてあげてください。私もかなり楽しみです。よろしくな小池、いつもありがと。
(群馬県太田市在住)
2024/06/30
No.250 2024年6月号 2013年卒 山中 翔太
「ギリギリでいつも生きていました」

 森尻くんからバトンを受け継ぎました、地域政策学部2013年卒、山中と申します。250走者目とキリが良いのでちょっと嬉しいです。

 私の人生はとにかくギリギリでした。

 高校時代には授業中にこっそりとゲームをしてしまう様なクズ人間でした。中でも某有名ゲーム「FF」のクライシスコアというシリーズをPSPでやっていて、授業中に感動のエンディングを迎えて思わず泣いてしまったことが良い思い出です。
 そんな私でしたが、3年生になり、ある友達が大学に向けて必死に勉強をしてるのを見て、自分も看過されて勉強をし始めました。学校の授業だとどうしても寝てしまうので、自分で参考書を買い漁り勉強をすることにしました。その結果高崎経済大学に合格することが出来ました。ただ、授業をめんどくさがり欠席と遅刻を繰り返したため、何と後3日ほど欠席したら、卒業が出来ないところでした・・・。最低出席日数のことなんて全く知らなかったから、本当にギリギリで卒業してました。

 大学に入ってからは、アルバイトとパチンコに明け暮れる毎日・・・。そんな私の救いは暴れん坊の森尻くんと巨人族の男性と3人で始めた総合格闘技部でした。部の活動としては来たるべき戦いに備え、食を積むことでした。ラーメン屋と焼肉屋を駆け巡る毎日・・・。結局来たるべき戦いは来ませんでした。蓄えた肉だけが残りました。今でも取れません。
 その後、就活期に入ってもグダグダだらけていましたが、部の他の二人が就活という戦場で戦ってる姿を見ているうちに、自分だけ逃げていると感じて、気持ちを入れ替えました。その結果、第一志望だった地元の信用金庫から内定を貰えました。ここ以外受けてなかったから、落ちていたらどうしてたのかと思うと震えが止まりません。
 ただ、4年後期にも関わらず卒業までに18単位残ってることに気づきました。内定も貰ってるし、絶対に卒業せねば、という気持ちで授業を組み込む中であることに気づきました。そう、語学の単位が足りないことに・・・。通常は1、2年で終わっている語学の単位が取得できていないことに気づき、大急ぎでコンピューティングTの抽選を受けました。しかし、泣く泣く落選しました。そして私は、知識ゼロの中で、コンピューティングWを受講しました。Tは基本中の基本です。ではWはどうでしょう。そう、発展中の発展です。まさかJavaを使用して簡単なプログラミングをすることになるとは思いもしませんでした。しかも4年生にも関わらず、1限の授業です。みんなが楽しく卒業旅行とかしてる間、毎週1限のプログラミングをしに頑張ってました。「全ては卒業の為に・・・」この気持ちを胸に頑張った結果、無事コンピューティングの単位が取れました。やっと卒業できる!!そう思ったの束の間、「あれ?一個単位落としてる…」まさかの、ゼミの教授の試験で単位を落としていました。嘆願しましたが、もちろん再試験を受けることに・・・(再試験受けさせてもらえただけありがたいんですけどね)。全力で勉強しました。たぶん100点取った気がします。無事再試験を突破し、大学を卒業することが出来ました。
 因みに総合格闘技部の卒業旅行は横浜inカプセルホテルでした。金欠ダメ絶対。

 社会人としては、信用金庫に11年勤務しました。最初の支店ではトップ営業の先輩と一緒に仕事をさせてもらって、営業のノウハウ、センス、テクニック等々たくさん勉強させてもらいました。何より、この人みたいになりたいと思える先輩に早く出会えたのは本当に幸運でした。その後、大型店の厳しい店に配属となりました。この支店では「人格者」という言葉はこの人のためにあるものだといっても過言ではない、素晴らしい上司と出会いました。部下が間違ったことをした時にはしっかり注意をして、頑張ったらしっかり褒める。部下指導の基本中の基本かもしれません。しかし上司自身がどんな厳しい仕事をしてる時でも、このスタンスを崩さない姿が、理想の上司像そのものでした。
 そういった応援もあり、最後には営業成績も残すことが出来て、2位と1件差のギリギリで年間1位となれました。素晴らしい先輩と上司と仕事をさせてもらえたことも、非常にラッキーな「ギリギリ」だったと思っています。
 
 現在は、今年から群馬県職員として仕事をしています。いや、この流れで続けてないのかよってツッコミを入れたくなる人もいるかもしれません。すみません。ただどこにいってもギリギリの場面は訪れると思います。その際に、今まで培った経験を元に逆にギリギリをチャンスに活かすことが出来るような、「ギリギリでいつも生きていたい」と思うような人生を過ごしていきたいと思います。

 さあこんな私からバトンを受け継いでくれるのは、前職の信用金庫の後輩、鋼のメンタルと元気さが売りの石倉くんです!石倉、頼んだ!!
(群馬県在住)

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