リレー随想
2025/06/09
No.261 2025年5月号 1997年卒 早川 高史
【あの頃】1997年春、高崎経済大学を卒業した私は、縁もゆかりもない札幌で新社会人のスタートを切りました。
はじめの1年は、仕事と言う仕事は特になく会社中になり響く固定電話を片っ端からいち早く取り先輩にお繋ぎすることぐらいでした。
朝会社に行き、たばこを吸い、お茶飲む。
タウンページを開いて上から順番に新規の広告を営業するアポ電話をし、1件もアポが取れないままランチを食べに行く。
午後デススクに戻り、タウンページを開き、上から順番に電話をし、広告のご用命を申し入れる。
しかしアポは1件も取れず。
夕方になると居酒屋ユックに支社長に誘われ、ヒメたらと冷やっこで日本酒を飲む。そして二日酔いで、次の朝を迎える。
アポイントの電話で、1番最初にお仕事をいただいたのは、札幌の中心部にある4丁目プラザに設置してある交通ビジョンに化粧品会社のCMを放送することでした。
初めて仕事をいただいたのが12月、放送開始が翌年の4月、まだ雪が残る4月の札幌の街中で交通ビジョンに映る化粧品会社のCMをしばらく立って見ていました。
あれから28年、本日この文章を札幌にて書いております。会社は変われど同じ広告業で仕事を続けて本日は出張で来ております。
4丁目プラザの近くのホテルに泊まりあの頃を思い出し、4丁目プラザを見に行きました。
もうあのビジョンはなく、建物もきれいに様変わりして時代が過ぎたなぁと思っております。
そして、本日の広告のお仕事のご用命を下さったお客様は、高崎経済大学の卒業生であります。お仕事を一緒に始めた時は、お互いに卒業した大学を知らず、先日話していましたら、なんとお互いに高崎経済大学の卒業生であることがわかり、2人で鳥肌が立ちました。
広告と言う仕事を28年にわたり続けられたことへの感謝。
札幌に降り立って、また広告の仕事に携われた感謝。
その中に高崎経済大学の卒業生がいらっしゃったご縁への感謝。
そんな感謝をいっぱいに抱きながら、あの頃を思い出しながら、この文章を札幌でかけていることに、またまた感謝したいと思います。
(神奈川県川崎市在住)
2025/04/28
No.260 2025年4月号 2018年卒 吉澤 建人
「故郷、群馬へ」みなさん、こんにちは。経済学部2017年度卒の吉澤建人と申します。同じ勤め先の、井上健二さんからバトンを受け取りました。
先日、群馬に帰郷した際に、当時所属していた体育会、サイクリング部のことを思い出しましたので、そのことについて投稿いたします。
上毛三山を望む故郷、群馬。久しぶりに帰省し、青春時代を過ごした大学と、そこで打ち込んだサイクリングの日々を思い出す。あの頃、私の愛車はロードバイクだった。細いタイヤと軽いフレーム。風を切るように走る感覚が、何よりも好きだった。大学のサイクリング部に入部し、仲間たちと練習に明け暮れていたことを思い出す。
練習コースは、大学周辺の山道。最初はきつかったけれど、少しずつ体力がつき、坂道を登れるようになった時の達成感は忘れられない。榛名山、赤城山、妙義山…。群馬の名峰を、自転車で駆け抜けた。
決して綺麗ではない、油のにおいがする部室に集まり、今日のコースを検討する時間もまた、楽しかった。誰かが持ってきた地図を広げ、ルートを決め、補給食を分け合う。時には、先輩の武勇伝に耳を傾け、モチベーションを高めた。
レースにも出場した。スタートラインに並び、緊張と興奮が入り混じる感覚。仲間たちの声援を背に、ペダルを力強く踏み込んだ。結果はどうあれ、全力を出し切った後の爽快感は格別だった。
合宿も、忘れられない思い出だ。特に1年生の時の夏合宿は、今でも鮮明に覚えている。新潟をスタートし、日本海沿いを北上、佐渡島をフェリーで渡り一周し、再び新潟に戻り、金沢の粟津温泉を目指すという、1週間で1000キロにも及ぶ壮大な旅だった。キャンプ道具を自転車に積み、キャンプ場を転々としながらの行程は、まさに冒険だった。夜は、仲間と語り合い、親睦を深めた。時には、恋愛話で盛り上がり、時には、将来の夢を語り合った。
卒業してからも、何度か群馬でサイクリングをした。かつての練習コースを走りながら、あの頃の情熱や友情を思い出す。風の匂い、土の感触、景色…。すべてが、懐かしく、愛おしい。
群馬の自然の中で、自転車に乗っていた日々。それは、私の青春時代の、かけがえのない宝物だ。いつかまた、あの場所で、風を切って走りたいと思っている。
と、感傷に浸りながら、私も次の方へバトンを繋ぎたいと思います。
(東京都在住)