リレー随想

2023/08/14
No.240 2023年8月号 2014年卒 西尾 弘昌
「成功するためにやるんじゃないのよ 納得するためにやるのよ 人生は」

 皆様ご機嫌麗しゅう。経済学部2014年卒、西尾弘昌です。初めに。長くなりますので、お時間に余裕のない方は次の方へお進みください。
 私は現在、ワーキングホリデーの名の下、オーストラリアにて大変苦行を強いられております。2024年1月まで滞在予定ですので、お暇な方はぜひ。心よりお待ちしております。

 さて、大学生活と言えば、麻雀、ボーリング、ボード、カラオケにビリヤード、そして旅行。ときには、メイドカフェに行ったり、耳かき専門店で女の子に耳に傷をつけられたりと、まっこと楽しゅう思い出ばかりです。
 大学を卒業してからと言うもの、地元へ戻り、銀行へ就職したのはいいものの、次第に減る遊べる友達、結婚・出産を経て減る友達、とどめを刺しにきた新型コロナウィルス感染症。とまぁなんやかんや、2022年1月に仕事を辞め、30歳無職となりました。

 と言うことで、ここから2022年の振り返りを行いたいと思います。
2月〜3月。
「やりたいことの見つけ方」というセミナーを大真面目に受講。も、見つからず。
4月。
疎遠になってしまった友人と数十人と会ってみた。久しぶりに連絡しすぎて、なんかのセールスかと間違われるハプニングも。
5月。
自分で事業を立ち上げることを模索。いろいろなコミュニティーに参加。マルチの勧誘を受ける。(途中までは良かったんだけどなぁ。)
6月。
アメリカのドラマ"Friends"に出会い、『この世界観が理想や!』『英語しゃべれたらかっこよくね?』と英語に全振りを決意(まずは3ヶ月!) 。
7月。
ワーホリを知る。…も、1年という時間、英語勉強の目的が"ただかっこいい"という軟弱さから葛藤。
初めての兄弟だけの食事。改めて、人間って人それぞれ考え方が違うんだなと実感。声をかけてよかった。
8月。
1ヵ月間沖縄へ。
ヘルパーとして1ヵ月間共同生活。1日3時間労働。給料なし。家賃タダ。同じヘルパー仲間との時間、プライスレス。
9月。
賃貸を退去(2021.12〜2022.9)。理由、ワーホリを決めたから。
元々の賃貸理由。私「仕事辞めるわ。」親「ダメ。一人暮らし経験したらいいよ。」私「OK。来月から一人暮らしするわ。」(そもそも30歳で実家暮らしとか…。ほんと両親に感謝感激雨嵐。)
それとおそらく中学生ぶりに家族旅行へ。家族って、なんでこう無償の安心をくれるんでしょうか。
10月。
鳥取にてリゾバをスタート。
開始5日目で干される。私の名誉のために言っておきますが、仕事はめちゃくちゃできました。他のお姉さん方も褒めてくれました(そういえばチップをもらうなどと言う初体験も)。
ちなみにバイト内容は中居さん。
11月。
1週間ほど禅センターにて修行。
接心と言う名の、一日中座禅を組み続ける日。「呼吸をする音がします」と注意の入る座禅。座禅が出来ずに椅子に座り、軽くいびきをかいて寝るお婆ちゃん、御年72歳(何しにきた!?)。無言の食事。たくわんで拭いとる残飯。
全ていい経験で、笑いのネタにもなる、最高の体験でした。
+毎食前必ず読まれる"五観の偈"がもう。
二つには己が徳業の全闕を忖って供に応ず。
皆さんはその食事を頂くだけの徳を積めていますか?
12月。
前月中旬よりスタートさせていた熊本でのリゾートバイト続。
ここからイカれたメンバーを紹介。
客が来るとすかさず隠れる、超大型ルーキー○井(41歳)!
声が大きく勢いあるも、メンヘラ奥さんの退場により強制退場を余儀なくされた○野さん(39歳、奥さん26歳)!
初日はそつなくこなすも、2日目に突然奇声をあげ、3日目橋の上で包丁を持ちながらたたずんでいるところを警察に保護された○○くん!
本当に世の中には色んな人がいるものです。
そして1月。
出国を1週間後に控えたあるPCR検査からの帰り道。
自転車の私は歩行者様との軽い接触。後、突然歩行者様に殴りかけられ、10数発殴られた後、6万円をカツアゲされると言う事件を経て、ここオーストラリアに参戦しました。
皆さんも自転車の運転には気をつけて!

 オーストラリア生活は特筆すべき事はなく、強いて言えば、私のバイト先が突然の閉店申告(閉店4日前)。現在、私は再び無職と言うことですかね。本当、人生いろいろなことがあります。

 長くなりましたので、ひとつだけ。
 何事にも区切りを持ちましょう。

 仕事を辞めてからというもの、全てにおいて区切りを意識するようになり、話せる経験も増えた様に思います。人生は経験の総和であると思います。どんな挑戦も、失敗ですら、将来大切な"経験"という財産に変わります。
 今思い返せば、銀行で勤めた約8年間、何をしたか、どのような経験があるか、どのような思い出があるか。簡単に語ることができません。それはただなんとなく生きて、ただなんとなく仕事に行って、長すぎる定年までの時間に区切りを持てなくなっていたからだと思います。
 区切りがあるから、終わりがあるから今この瞬間を頑張れる・楽しめるというものです。
 現在の私は、英語の勉強は今年いっぱいと決めているので、来年一年は、日本で新たな業界にでも挑戦してみようかなどと考えております。

 最後に。リレーのバトンは、同じく準硬式野球部のマネージャーとして奮闘してくれた星野真由さんに引き継いでもらいます。私としては色々近況も気になるところでありますので、楽しみにしながら9月号を待ちたいと思います。
(オーストラリア在住)
2023/07/21
No.239 2023年7月号 2014年卒 三上 諒
「Re: make」

 山野拓巳さんからバトンを受け継ぎました、経済学部2014年卒の三上諒と申します。現在は兵庫県神戸市にて、機械メーカで営業職をしております。

 山野さんとは私が2020年に中途入社した職場で、中々衝撃的な出会いをさせて頂いたと感じております。入社後間もないある日、少し顔見知りだった山野さん&山野さんの上司の方に、無人の会議室へ突然呼び出されてひと言。「三上さん、ちなみに学籍番号は何番だった??」
 東京本社の会社とは言え、神戸の片田舎の工場に経大出身者が3人も・・・一瞬軽く引きましたが、とても嬉しい気持ちになったことを憶えています。その後しっかり3人で神戸三扇会もさせて頂きました。世の中狭いものですね。

 さて、私が経大へ入学した経緯ですが、父の転勤で住んでいた岩手県内から、高校卒業を機に幼少期を過ごした埼玉や都内近郊の大学へ進みたいと考えていました。ただ東北の高校生にはありがちなのですが・・・学力の高い壁に押し戻されて都心部には辿り着けず。悲しい現実を受け入れ、北関東・高崎の地で、失意の中で学生生活をスタートすることとなりました。

 ここまで見ると高崎ディスりのように思われるかもしれませんが、改めて4年半の学生時代を振り返ると、本当に経大生で良かったと感じております。
 私は準硬式野球部に所属していましたが、部活をしながらオフの時間で遊び呆けていた記憶しかありません。肝心の部活も残念ながらレギュラーにはなれませんでしたが、試合ではキャプテンの代理でチームにサインを出しつつ、皆で笑いながら野次を飛ばすポジション。ある意味誰よりも試合を楽しんでいました。

 “大学生は人生の夏休み”との格言がありますが、完全に同意です。面白ければ大体何でもOK!の明るい価値観が培われたのもこの頃でした。(社会に出てからはある程度直しております)
 このように学生の本分は多少見失いつつも、似たような傾向の友人、諸先輩、後輩の方々にも恵まれ楽しく過ごさせて頂きました。経大を通じて出逢えて本当に良かったと思っております。

 取り留めのない話で畏れ多いですが、私が申し上げたいことをひとつだけ。昨今のコロナショックで、旧知のご友人との交流が一旦ストップしてしまっている方々も居られるかと思います。私のような若輩者の立場で僭越ですが、情勢が多少落ち着きつつある今、思い切ってご連絡を取られてみてはいかがでしょうか?
 他愛のない内容でも、古い友人から貰う連絡は大体懐かしく嬉しいものです。それと同じように、こちらからの連絡もご友人は同じ想いで受け止めてくれる筈です。(保証はできませんが)
 中々気軽にとはいかないかもしれませんが、疎遠になった縁を再度戻されるには良い頃合になってきたのではないかと感じています。
私自身、コロナショックに加えて友人達も結婚・出産などで環境が変わってきたこともあり、中々集まることができない期間が続いていました。その中でも、最近何度か有志の方々に機会を作って頂いた中で、改めて友人達と過ごす時間はとても楽しく、また毎回新たな発見もある有意義なものだと心の底から感じております。

 最後に、リレーのバトンは準硬式野球部同期の西尾弘昌くんに受け継いで頂けました。彼は紆余曲折を経て、年始からオーストラリアへ語学留学に旅立っています。日本語を思い出しつつ、色々と当時の記憶やラリア生活を書き綴って頂けると嬉しいです。
(兵庫県神戸市在住)

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