リレー随想

2021/10/27
No.219 2021年11月号 1999年卒 折戸裕樹
「卒業アルバムはいったいどこに…」

 職場の先輩、田中さんからバトン引継ぎました1999年卒の折戸裕樹です。

 まずこの依頼を受けて、ショックを受けたことから書こうと思います。今回投稿するにあたり大学の卒業アルバムを見て考えようと思い、家や実家を休日に探してみましたがアルバムが見つからず、とてもショックを受けてしまいました。今まで20年以上見ていないくせに、と自分で思いながらもかなり落ち込みました。きっと私のような卒業生は多数いるはずなので、この投稿を偶然に見た高経関係者の方が、高経ホームページに卒アルアーカイブスのようなコーナーを作ってくれたらなぁ、と淡い期待を抱いております。

 それでは、ここから私の高崎の想い出を少し書かせていただきます。私は軟式野球サークル「デスペラード」に所属しておりました。私は野球経験が無かったのですが、仲良くなった隣のアパートの同級生繋がりから入部することになりました。野球自体は経験者ばかりだったので私は身体を動かす程度で練習に参加しただけですが、飲み会等イベントには必ず参加していた記憶があります。しかしここで出会いが、私の大学生活を良いものにしてもらえました。アルバイトもサークルの先輩から紹介してもらい、当時としては自給1,000円という割の良い仕事を紹介してもらい卒業時まで続けることが出来ました。
 そして気が付いたら、3年時にはサークル幹事長という役を任せられてしまいました。試合なんて殆ど出た記憶無いのに地元草野球リーグの申込、抽選、練習試合のセッティング、打ち上げ、学祭の模擬店出店等とまあまあ当時忙しかったことを思い出します。そして一番苦労したのが、当時4年生の先輩方が想い出にプロ野球の球場で試合がしたいと言い出した時でした。それもどんどん要望がエスカレートし、最終的に当時完成して間もないナゴヤドーム(現在のバンテリンドーム)がいいんじゃないかとなってしまいました。
当時は現在のように何でもネットで検索が出来るわけでもなく、いろんな方法で調べて、名古屋までのバス手配など苦労もありましたが、なんとかナゴヤドームでプレーしたいという希望を叶える事ができました。もちろん一人ではなく周りの友人たちに協力してもらって出来たことですが、私にとってはそれまでの人生で自分が企画して何か物事を行うという経験がなかったので、このサークル幹事長は貴重な経験となりました。

 あと最後に皆さんにお勧めしたいことがあります。それはGoogleマップで当時よく行った場所を検索して最新の写真を見てみることです。私は10年以上高崎を訪れておらず、そういえば住んでいたアパートとかどうなったかなぁと思いGoogleマップで検索したらまだ当時のまま建っていたのでなぜか嬉しくなってしまいました。他にもよく行った、からさき食堂、ボンジョルノ、肉の日にしか行けなかった朝鮮飯店、バイト先(もう無くなっていましたが)等、検索しその周りをGoogleマップ見てみると懐かしい気分に浸ることが出来ました。

 とりとめのない内容となりましたが、今回投稿の機会を頂いたことで、様々な出来事を思い出すことが出来、この高崎での生活が私を大きく成長させてくれたことを再確認することが出来ました。またいつか高崎を訪れることが出来たらと思っております。
(岐阜県大垣市在住)
2021/09/28
No.218 2021年10月号 1998年卒 田中元康
『大学生活で得た財産』

 職場の先輩である宮部さんよりバトンを受けました、1998年卒(学籍番号は94-345)の田中元康と申します。学生時代を振り返ると数えきれないくらい多くの事が昨日のことのように思い出されますが、記憶の大きさで計ると『入学』、『サークル』、『部活』の3つが挙げられます。
 
 第2、第3志望大学に落ち、浪人生活を覚悟した3月下旬、第一志望であった『高経』から郵便で合格通知が来た時の感動と両親、祖母も大変喜び祝福してくれた事を今でもはっきりと覚えています。合格通知が来た翌々日、日帰りで両親と新幹線で高崎の地を踏み、北海道出身の親切な先輩の案内により4年間住む良い場所を決めた事が思い出されます。この数日間は今でも人生で一番嬉しかった時と言えます。
 大学では、サッカーサークル『Light Blue』と体育会系の部活『ローバースカウト部』に所属していました。Light Blueでの財産は、サークル活動を通して得た多くの事の中で一番は『同学年の仲間』です。同学年の仲間とは学生時代、アルバイトや飲み会、旅行等かなりの時間を共有していました。卒業後間もない時期は、定期的に集まる機会もありましたが、東北から関西まで散らばっていることもあり、時間の経過とともに段々と少なくなっていますが、今後も一生涯関わっていきたい仲間です。サークルの仲間は今でも親交があり、遠方でありながら今でも中間地でゴルフをする仲間もいます。

 ローバースカウト部は体育会系の部活であるためそれなりに厳しい面もありましたが、定期的にある合宿が思い出深いです。ローバースカウト部に入るまでテントを担いで寝泊りする経験はなかったですが、意外と楽しく活動出来ていました。その中でも一番記憶に残っているのが大学2年時の夏合宿で行った能登半島です。約1週間かけて歩いて移動し、能登半島の北部約150q位を歩きました。その時、最後まで歩き切ったことと合宿の終盤の自由時間に近くの銭湯で1週間以上ぶりに浸かったお湯に感動しました。合宿後に先輩から聞いた話から、食料の準備や毎晩テントを張る場所、30人以上が歩ける道順の選定、移動中のトイレの確保など準備する事は多岐にわたり、幹部の苦労は大変だと感じました(今とは違いインターネットも普及しておらず、本と現地での情報収集が全ての時代)。
 しかし、2足の草鞋を履くことは難しく幹部となる3年に入るころローバースカウト部は退部しました。この選択が大学時代で唯一後悔していることです。幹部の苦労や時間の制約を嫌い、退部を選択してしまったのですが、この時退部を踏みとどまっていれば違った大学生活や今とは違う社会人生活が送れていたかも知れません。
 社会人になってからもこの選択を思い出すことは多く、苦労から逃げたことを教訓にして、困難に直面したときは逃げることなく向き合って取り組むように心掛けてきました。卒業後、今の職場で20年以上勤続出来ているのは、ローバースカウト部を退部したことを教訓にしていることが影響しています。
 
 『高経』で得た財産は、今振り返ってみると『仲間』と『ローバースカウト部を退部したことから得た教訓』であると思います。大学生活の4年間は大変濃い経験を得られた期間で私にとって人生で一番大事な時間でした。今後も様々な経験を財産に変えられるように日々是精進していこうと思います。
(岐阜県各務原市在住)

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