リレー随想
2021/02/12
No.211 2021年3月号 1991年卒 足立判太朗
【エール】高崎経済大学経済学部学籍番号86-015(だったような気がします)昭和61年入学、平成3年卒業の足立判太朗と申します。学士課程修了には年数が合わない気がするかもしれませんがお気になさらずに。
昨年4月息子が大学に進学しました。子供の受験をみて,ずいぶんと自分たちの頃とは制度もシステムも違うと感じていました。当時は共通一次試験(5教科7科目1000点満点)を受け、その後大学毎の二次試験(高崎経済大学は英語と小論文だけだったような気がします。もしかしたら数学系と社会科系の選択があったかもしれませんが良く覚えていません)。私立大学はもっとシンプルでチャンスは学部毎の一度限り。AOやらセンター利用、一度の試験で全学部とやらは有りませんでした。現在の現役の方はどのような入試を経ておみえなのでしょう。時代が変われば色々なことが変わるものなのですね。
さて、この度大学時代とてもお世話になりました高野憲一先輩からバトンを受けました。しばらく大学にも足を運んでいませんが当時のことは今でも良く覚えています。社会の雰囲気はバブル経済に浮かれ、イケイケどんどん。内需拡大のかけ声のもと、土地が上がり、株価が上がり、全てが拡大していました。やろうと思えば何でも出来る、そんな気にさせる時代だったような気がします。私の同期には大学の学費30万円(半期毎に15万円を納めていたような気がします)を含めた学費・生活費すべてを株式投資で賄っていた猛者もいました。
翻って今の学生の皆さんはどうでしょう。「失われた20年」がやっと終わったかと思ったら昨年から始まったコロナ禍。社会は閉塞感に包まれ、先の見えない重苦しさ、講義はリモートばかり、クラブ・サークル活動も侭ならず、人との交流の機会が失われ、バイトも出来ず苦労されているかと思います。学生時代にすべき事の一つは「経験」です。あらゆる経験です。学業に励み知識を得て真理を求める経験、社会で働く経験、友人とふれあい交流する経験、社会の多様性に触れ触発される経験、圧倒的な敗北感を味わう経験、多幸感や達成感に包まれた成功体験等、どれも人間を形成していく上で必要なことかと思います。
人との交流が減り、こういった経験をする機会がなくなり思うようにいかない世の中ですがどうぞ現役の学生の皆さん、どんな状況でもあきらめず、道を探してください。
「どんなときにも必ず道はある」
これは私が大学の先輩からかつて頂いた言葉です。その通りです。どんなときにも方法はあり、道はあるのです。がんばりましょう。そして卒業されたOB・OGの皆様、現役の学生達がいま苦労をしています。かつて私たちも通ってきた道を進む後輩たちです。何かしらの「エール」を彼らに贈ってあげたいものです(エラそうにすみません!)。
私自身も後輩達に「エール」を贈ることが出来るよう、がんばっていきたいとこの随想を書きながら改めて思い直した次第です。
(岐阜県多治見市在住)
2021/01/13
No.210 2021年2月号 1987年卒 高野 憲一
【大学で得たもの】応援団で4年間苦楽を共にした川井さんからバトンを受けました名古屋市在住、1987年卒の高野憲一です。
初めに、コロナ禍の影響を受けられた皆様には心からお見舞い申し上げます。
私も大幅な減収や働き方改革でそれなりのダメージを受けましたが、くじけず前を向いて頑張りたいと思います。
さて、私は1964年の東京オリンピック開催中に文京区で生まれ、10歳から埼玉の川越で、そして18歳から4年間を高崎でお世話になりました。就職後は中部地方を中心に転勤を繰り返し、直近は4年間東京にいましたが、7月に家族が住む名古屋へ異動をして、現在は久しぶりの同居生活を楽しんでいます。
この度、リレー随想の話を頂き人生を振り返るにあたり、大学時代がいかに人生の宝箱であったかを当たり前ながら実感している次第です。少し長くなりますが、私の回顧録にお付き合い願います。
私が大学時代に得た特筆すべき事は以下の3つです。
◆一つ目は、やはり応援団活動によるものです。
応援団は【人を応援するに足る自己の陶冶】をキャッチコピーに、他人を応援できるレベルまで自己を成長させることを目的として活動しており、日々の活動や大学の行事に様々な形で参加し、幾度となく挫折しそうな経験をしながらもその経験が私の行動レベルを大きく伸ばしてくれました。入団時から社会に出てから必ず役に立つといわれ続けましたが、間違いなく私のその後の人生に大きく貢献してくれています。
3年生の12月に川井さんとたった2人の応援団となり、4月に新入団員がなければ途絶えてしまう(川井さんが留年すればもう1年大丈夫か?)とかなりビビりましたが、多くの新入団員が入り安堵しました。そして、彼らが4年生の時に全日本学生応援団連盟の本部校として大学応援団の頂点に立ってくれたことは今でも誇りです。
人類が他の動物を圧倒的に凌駕することは知識や技術の伝達・伝承の能力ですが、現在の高経大応援団にそれができないことは誠に残念に思っています。
◆二つ目は、大学の勉強です。
3年生になり、長谷川ゼミ(日本経済論)に入った後に初めて【自分が学びたいものをとことん追求する大学ならではの勉強の面白さ】に気づいて状況が一変しました。
長谷川ゼミではゼミ生が【財政】【貿易】【金融】の各班に分かれ、それぞれ自学習や班ごとの勉強会をして切磋琢磨したのがとても刺激的で、【関ブロ】【インター】と他大学との交流会でも知識や理論を競い合ったものでした。残念ながら私がゼミ生の中で一番の落ちこぼれだったことは言うまでもありません。
3年生の夏休みにホームステイをして、アメリカ人の懐の広さと経済格差を直に肌で感じた時、【原理】【原則】の座学よりも【現地】【現物】【現実】が優先する実態経済にとてつもなく惹かれ、自分が勉強すべきことがわかったのは大収穫で、自分が学びたいと思った勉強をできることはとてもうれしいものでした。
就職活動をした1986年の夏は円高不況で、金融班だった私はメーカーの面接でことごとく予想レートを尋ねられ、理論的な購買力平価だけでなく自分の肌で感じた【かなり円高のレート】を回答して嫌な顔をされたことを覚えています。その頃の勉強は仕事よりも株式投資に今でも活かされている。。。かなぁ?
◆そして最も重要な三つ目は、かけがえのない人たちとの出会いです。
同じ高校から入学して今も大切な友人である宗像さんしか知らないところからのスタートでしたが、卒業までに本当に多くの知己を得ました。
応援団では川井さんの他、魅力的な先輩・後輩、他大学にも生涯の友を得ました。
都留文戦やフレッシュマンキャンプ、リーダーズマンキャンプ等を通じて知り合った体育会の仲間たち。特に4年生になり行き場を失った?体育会本部の数名は応援団本部によく来ていたよね?
新入生歓迎会や大学祭を通じて親しくなったイベント系の仲間たち。本当に勉強でお世話になった長谷川ゼミの皆さん。那須さんの部屋では徹夜でシミュレーションゲームをしたよね(あ、これは勉強じゃないかぁ!)
そこ抜けに明るい坂本先生とまじめな福井先生のスペイン語クラスの皆さん。毎日のように部屋に居座らせて頂いた塩野さん。横浜といっても中華街出身にしか思えなかった橋本さん、生駒さん、久宗さん。久宗さんにはミスター〇ーナツのバイト帰りに山盛りの残り物を届けてもらいました(時効だよね?)。その久宗さんが大学の先生とはねぇ!卒業旅行でアメリカ西海岸を一緒に旅した松浦さん等々、もう次から次と顔が浮かんできます!
詳しくは書けませんが、ちょっとほろ苦く素敵な恋もしました。
定期的に会える人もいれば、二度と会うことができない人もいるでしょうが、みんな私のかけがえのない大切な人たちです。
高崎経済大学に入って本当に良かったと深く感謝しています。大学の4年間で得たたくさんの宝物は今でも私の中に熱く生きています。コロナ禍が収束し、あと数年で定年を迎えたら、旧交を温めに全国行脚しようかな♪
さて、次のランナーですが、多士済々の1987年卒のリレーを続けたい気もしますが、『また尻拭いかよ』って思われかもしれないけれど、34年前に私たちからバトンを受けて、全日本学生応援団連盟の本部校になるまでごぼう抜きをした立役者の一人、1990年卒の【足立判太朗さん】にバトンを渡したいと思いますのでよろしくお願いします。
(名古屋市在住)