リレー随想
2024/12/06
No.256 2024年12月号 1978年卒 村上 幹夫
「住めば都、『三扇寮』の思い出」かつての務め先で同僚だった親子程の年齢差がある中原さんからバトンを受けた経済学部1978年卒の村上幹夫と申します。年金を頂く度に有難く思いますが、同時に月日の速さも直に肌で感じている世代です。
今日では大学周辺に数多くあった下宿も姿を変え、高経にも学生寮があった事を知らない方も多いと思います。一般学生からも少し離れた世界の、それでも住めば都だった私の寮生活・体験の一端を紹介致します。但し、記憶違い等はご容赦下さい。
光陰矢の如し、丁度50年前の春にタイムスリップしましょう。
新幹線がまだ無い遠い岩手県から高崎駅に降り立ち、期待と不安を覚えながらバスで大学へ。その先のグランドや武道館を越えた所に「三扇寮」がありました。建物は木造モルタル2階建の2棟、全27室。2年間の入寮期限でしたが、例外で3年生の寮長が1人、同期は30人強。私の部屋は長野県出身の2年生2人との3人住い。左右の2段ベッドを各々自前のカーテンで仕切り、上段同士で信州弁が飛び交っていました。
入寮後、最初の行事は新人歓迎ストーム。先輩達が控える談話室の入口で一人ずつ声高らかに自己紹介し入室。左右からドンブリに注がれた日本酒を飲み干して着座、そして宴会の流れ。初めての酒は特段の味も感じずに水のように飲み干せ‥‥が、その直後からは記憶喪失に。後日談では、その晩5人が急性アル中で入院の由。私もその夜から翌日夕方まで先輩の手厚い介護の元でダウン。以後、部屋の掃除や夜食の準備・後片付け等、長幼の序が自然に身につくご指導だったかも。
その後の新歓コンパは、部屋ごとで先輩の奢りで新人の希望する所に連れて行ってもらえるルール。この時が人生初、ホテルでの緊張フレンチディナー体験。(翌年春の追出しコンパは逆の立場。先輩達への義理を果たした筈、でしたが記憶も定かで無く、‥‥)
入学当初は受験勉強から解放された時期でも、少しは勉学に励む気持ちを胸に授業に出席。しかし、寮内では様々な経験や能力に秀でた諸先輩がいて、出席必須科目への対応や過去の試験時の模範解答?等、ノウハウが容易に取得できる場所。いつしかアルバイトに精を出すようになっていました。(個人差大)
生活面の代表例は先の談話室でのマージャンと居室でのトランプ。夜間制限のマージャンと異なり、居室に数人が集合するナポレオンゲームは、騙しと裏切りの渦巻く世界。興じて夜を明かすことが多々。その為、夜中に即席ラーメンを作り、石油ストーブに置いた鍋から上下無秩序にマグカップで啜る日常でした。
寮行事の目玉は寮祭のダンスパーティ。ダンパの前売りチケット販売は、大学の内外を問わず市中消化を目指して街の交差点での営業も。が、売上はサッパリ(会社での営業成績もむべなるかな)。同じく市内中心部まで繰り出す白昼の仮装行列。ディズニーパレードよろしく、出身地方ごとにチームで準備した100名足らずの市街行進。市民の注目と嘲笑、恥ずかしさが醸す微妙な雰囲気の中、寮生一体の「みんなで渡れば」と「旅の恥は掻き捨て」精神で何とか完歩、そそくさと帰寮したような。
少林山へのクロスカントリー、赤城山麓でのナイトハイク、高看女子寮との合ハイ等、「三扇寮」を舞台に巡るちょっと苦しくも楽しく懐かしい青春の一コマひとコマ。と、夢うつつから現実に‥‥。まだ綻びが目立たぬうちに次の走者にバトンを渡しましょう。
一年次の寮の隣室で、また退寮と共に借りた古い木造モルタル2階建ての同じアパートの住人でもあった田中充春君に引き取って頂きます。田中君、どうぞよしなに。
(東京都東村山市在住)
2024/11/27
No.255 2024年11月号 2011年卒 中原 澄香
「初めてのハーフマラソン」同窓会のご縁で声がけをいただきまして、バトンを受け取りました、経済学部2011年卒の中原 澄香と申します。
会社が地元のマラソン大会に協賛していることもあって、ずっと走ることが大嫌いだったのですが、強制的に運動する習慣を身につけるために、今月ハーフマラソンにチャレンジしました。
マラソンは、ギリシャ軍兵士がペルシアの大軍との戦いの勝利を報告するために、マラトンからアテネまで40KMも走り、死んだことを偲んで創設されたようです。人間が無理して走ると死ぬことを心にとめて、会社の終りや、土日の夜に自宅の近くにある公園で無理せず練習をしました。
大会当日は朝5時起きで、11月の気候も災いしてか、眠たい体を布団から抜け出させることにはかなり苦労しました。上尾駅7時発のバスにゆられ、曇り空で走りやすい天気だと喜んだものの、スタートしたら太陽も出てきて、11月なのに23度まで気温が上がってしまいました。夜に練習していたので、まぶしい太陽にも、とまらない汗にも慣れておらず、給水場をめがけて走るときにだけ風を感じました。せめて、キャップだけでも被るべきだったなと内心かなり後悔しました。
初めてのハーフマラソンをいうこともあり、かなり悔いが残る結果となりましたが、練習をはじめてから、100ぐらいしかなかった血圧が120の正常域まで上がったのはとても嬉しかったです。会社から130人以上も参加していて、神奈川県から上尾まで、来られていた方も10人ぐらいいました。バイタリティ溢れる同僚をみて、今後も頑張って走ろうと気力がわきました。
健康のためにも、交友のためにも、来年は再チャレンジしたいと思います。成長よりも退化を感じることが増えてきましたが、次回の大会では今回よりいい結果を出したいと思います。
次回ランナーの方は、会社の大先輩です。今はお会いする機会が減りましたが、一緒に並んで座り、奮闘していた時期が懐かしいです。
村上さん、よろしくお願いいたします。
(埼玉県川口市在住)