リレー随想
2024/09/27
No.253 2024年9月号 2015年卒 齋藤 拓也
8月号の小池さんからバトンを引き継いだ経済学部2015年卒の齋藤と申します。小池さんと同じ硬式野球部に所属しており、小池さんはチームで最も愛されていました。私は3年次に主将を務めましたが、小池さんがメンバーからの行き過ぎた愛情表現を受け入れてくれたおかげで、何をするにもチームワークの良いチームになりました。ありがとうございました。※詳細は小池さんの随想をご覧ください。
さて、私は群馬県出身で32年間ずっと群馬県で暮らしています。大学卒業後は、群馬県に本社を置き地方公共団体の基幹システムなどを開発・販売するIT企業に就職し、営業職として働いています。また、プライベートでは2人の子どもに恵まれ、慌ただしく、でも賑やかに過ごしています。
日々、仕事や育児に追われている生活をしていますが、“遊び”が人生には重要だと感じることが増えました。
その“遊び”を認識したのは大学でのゼミのことです。私が所属していたゼミは、会計を専門に勉強しており、ゼミ活動も活発でした。※ここでいうゼミ活動は遊びも含んでいます。
そのゼミで先生がしきりに「遊びなさい」と仰っていたことが、今でもとても印象に残っています。
先生の影響か、たまたまそういった学生が集まっただけなのかはわかりませんが、ゼミ活動の中にはボウリングや飲み会などの遊びが多く盛り込まれていました。特に衝撃だったことはゼミ合宿での飲み会です。至るところでコールが起こり、酒を煽った結果、下級生のほとんどが潰れ、詳しくは書けませんが大変なことになりました。(私も漏れなく潰れました。)
今思えばそんな楽しいゼミ活動に私は部活やバイトが忙しいと理由を付けて、ほとんど参加しませんでした(実際に部活は週5日、バイトは週4日で忙しかったですが)。それだけでなく、大学まで40分程かかる実家に暮らしていたことで部活やバイト後に遊びに行くことが億劫になり、地元や高校の友達も身近にいたことから大学の友達と積極的に遊ばなくてもいいやという感覚に陥っていました。
その結果、小池さんのような面白いエピソードはほとんど残っておらず、何ともつまらない大学生活になってしまいました。大学卒業後は特に仕事や家庭が忙しくなると友人関係も希薄になり、気づけば大学生活以上につまらない社会人生活を送っていました。
時が経ち、父親になりました。子どもが生まれると今まで以上に自分の時間はなくなり、自由に遊ぶことができなくなります。そうすると、当たり前ですが、もっと遊んでおけばよかったという思いが湧き出てきます。それと同時に友達と過ごす時間、交わす言葉、人とのつながりなど遊ぶことで得られるすべてが私の人生を豊かにしていたんだと感じました。実際に遊んでいた時代や瞬間の記憶は良い思い出で、その時は充実し、多くのことを学びました。そして、今になってゼミの先生が言っていたことがようやく理解できたのです。
子どもが大きくなるにつれて、時間はどんどん限られていきますが、家族とも友達とも自ら積極的に遊びたいと思います。また、子どもにも遊ぶことの大切さを伝え、たくさん遊んで人生を豊かにしてもらいたいと願っています。
小池さんからの期待に応えられたかわかりませんが、以上で私の随想は終わりです。
次回ランナーの方、よろしくお願いします!
(群馬県前橋市在住)
2024/08/29
No.252 2024年8月号 2015年卒 小池雅章
「やるかやらないかは自分しだい」同学年の硬式野球部でともに汗を流した石倉からバトンを引き継ぎました、経済学部2015年卒の小池と申します。
石倉のコラムで体育で単位を落としたと言われていますが、石倉はよく冗談をいいます。待ち合わせ時間にはいつも遅れて来て、電話でトイレ終わったら行くと答えてから2時間来ない男です。
信じるか信じないかはお任せします。
私は、大学卒業後に地元山形県鶴岡市へ帰り地方銀行に7年務めましたが、令和5年度に転職し現在は公務員として働いています。おそらく高経OBには同じような経歴の方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
高崎経済大学での日々を思い出すと、私の人生のターニングポイントが大学1年次の時にあったと感じます。
それは、1年次前期の成績表が出た時でした。私は硬式野球部の同期の中で1番多くの単位を落としていたのです。
驚きました…。
みんな全然勉強出来ていないと…手応えが無いと…ずっと言っていたんです。なのにみんなは全然落としていませんでした。
その時に、「あぁ、こいつらはクソだな。これが進学校のやり方か。」と非常に悔しい思いをしたことを今でも覚えています。
そこから私の扱いはとても酷いものとなりました。
私のアパートは溜まり場になり、酒で潰されたり、出来もしない一発ギャグで滑らされたり、SNSを乗っ取られてツイートされ地元の友人達から引かれてしまうなど大変な日々を過ごすようになりました。
そして2年次になると、いつの間にか合鍵が2本作られていました。敬語を使えば先輩に何しても良いと思っている後輩の岡三○郎君が、「ホームセンターで小池さん家の合鍵2本2,000円で作れましたよ!安くないですか?!」と嬉々として報告してきた時は戦慄したものです。
その後は、ベルクでの深夜バイトが終わった後に帰宅すると誰かが鍋パした残骸が残っていたり、いつの間にか洗濯機に入っていた同級生のユニフォームやパンツを洗濯して干したりとより大変な日々を過ごすことになりました。
一度の失敗でこんなことになってしまうのですね。性懲りも無く単位を落とし続けていたことが拍車をかけていたのかも知れませんが…。
こんな私ですが、社会人になり少し考え方が変わったことがあります。それは勉強が大事だということに気づいたのです!
そこで私は26歳の時に一念発起し、働きながら通うことが出来る地元の大学院に入学しました。日中は働き、夜間に学校へ通う日々を過ごし、2年後に修士号を修了したのです。
信じられますか?!体育の単位を落とした私がですよ?!
大学院では、主に公益やまちづくりに関して学び、様々な経験と知識を得ることができました。その上で、改めて地元のために自分の力を活かすことが出来ないかと考え、最も実働として地元に貢献できる公務員へと転職をしました。
現在は、市役所内のPCやシステム、ネットワークを管理する場所に配属され、学んだことや決意したこととは全く関係ない仕事をしています。たぶん面接でやりたいこととか上手く伝えられなかったんですね、きっと。
今度も自分がやりたいことに純粋に、やるかやらないかは自分が決めるんだという気持ちを持っていきたいと思います。
拙い文章大変失礼しました。
さて、次のリレーは我らが硬式野球部のキャプテンである齋藤拓也さんにお願いしたいと思います。高校時代は甲子園に出場しスリーベースを打ったスーパースターです。
みなさん、ぜひご期待ください!
(山形県鶴岡市在住)