リレー随想

2024/02/28
No.247 2024年3月号 2004年卒 入澤 健太郎
「不安で当たり前」

 赤津さんからバトンを頂きました。赤塚さんとはESSの部室がご縁でよくかわいがっていただきました。私のほうが1年早く卒業していることに、このリレー随想のバトンを頂き、気づいた次第です。それにしても、赤津さんのリレー随想は面白いですね!

 私は2004年卒なので、ちょうど20年前に高崎経済大学を卒業しました。社会人になって、「20年」のタイミングで、「東京三扇会リレー随想」のバトンがまわってくるのもご縁だなと思います。

 「不安で当たり前だよ。だって僕たち以外、みんな有名大学だからね。でも大丈夫。高崎経済大学だって負けていないところはあるんだよ。不安じゃない奴なんていないからさ。不安じゃないほうがおかしいよ。」

 これは20年前、私の就職内定祝いと称した会で、木村武彦(東京三扇会二代目会長)さんから頂いたお言葉でした。ご縁もあり、木村さんと同じ広告会社に入社でき、20年が経ちます。

 「広告マン」して、アイディアや言葉で難局を打破し、営業部門の統括をされてきた木村さんのお言葉には、とても重みがありました。ずっしりと心に響いたことは今でも鮮明に覚えています。

 緊張するタイプではないのですが、広告業界をリードするこの会社では、スケールの大きな仕事やクライアントの重要な局面での仕事がとにかく多いです。大事な交渉をするとき、競合プレゼンの前、社内発表の前、人事面接の前、寝る前。幾度となくこの言葉に私は救われました。

 「20年」は経ってみれば、あっという間でしたが、20年間、ほぼ毎日この言葉を思い出していたかもしれません。

 当時、常務取締役だった木村さん。新入社員の私にまでたくさん気にかけて頂きました。私が大阪に初任配属されたときは、大阪出張の度にご連絡を頂き、ホテルの朝ごはんをご一緒したり、高崎経済大学で講演をされる際は、カバン持ちとして、一緒に新幹線でお供したり、ここに書ききれないくらいの想い出と学びがあるのですが、私にとっての社会人人生での父親的存在でした。

 昨年、会社の高崎経済大学卒の先輩・後輩たちと漸く木村さんのお墓参りができました。当時は3人しかいなかった同窓も、少しずつ増えており、また嬉しい報告ができそうです。

 「不安で当たり前。」
僕はこの言葉を高崎経済大学の後輩に繋いで行きたいと思います。 

ありがとうございました!

 次回は、昨年、会社で出会った新たな後輩の森川敬太君にバトンを渡します。森川君宜しくお願いします!
(埼玉県在住) 
 
2024/01/19
No.246 2024年2月号 2005年卒 赤津義和
「偶然」と「ご縁」に感謝

 職場の後輩で前走者の塚本真輔君からバトンを受け取りました、地域政策学部2005年卒の赤津義和と申します。塚本君と私は茨城県にある公益財団法人の職員で、私は地元日立市にある公営の国民宿舎で副支配人をしております。

 偶然にもお互いに高経大卒ということが判明し、リレー随想に参加させていただくご縁をもらいました。思えば高経大に入学する時から現在に至るまで、様々な「偶然」と「ご縁」の連続でした。

 高経大に入学する前は、都内にある大学(2024年正月の箱根駅伝で優勝した大学です)に籍がありました。毎日渋谷で遊び歩いていて、やりたいことも特に無く、将来のことなど全く考えずに過ごしていたところ、たまたま何かのメディアで「日本初の地域政策学部」という記事を目にし、「これは面白そうだ!」と直感し、受験を決意。どうやら公立大学なので1次試験はセンター試験を受けなければならないらしい、ということで、締め切り間際にぎりぎり滑り込みでセンター試験の出願をしました。もちろん試験対策などゼロなので、センター試験の会場で、隣りの席の女子高生に「日本史Aと日本史Bの違いってなに?」と聞いたら、とても驚いてました。
 2次試験前日には宿の予約も取らずに高崎市に乗り込み、たまたま見つけた駅前の「豊田屋旅館」という宿にアポ無しで泊めていただきました。あまりにも古くて渋い旅館だったため、本試験前日にもかかわらず、旅館の創業からの歴史などを詳しく教えていただいたことを覚えています。ちなみに翌朝の高経大までの行き方も知らなかったので、バス乗り場なども豊田屋の女将さんに教えてもらいました。

 高経大に入学した後は地域政策に関連する勉強に邁進する予定だったのですが、群馬県に引っ越してきた直後にうっかり「登利平」の鳥めしと「おおぎや」の味噌ラーメンを食べてしまい、その美味しさに感動し、在学中はバイトと食べ歩きに全てを捧げてしまいました。
 「だるま大使」のとんこつラーメン、「シャンゴ」や「ボンジョルノ」のパスタ、「カレーム」や「プチール」のケーキ、「GGC」のハンバーグ、「栄寿亭」のソースカツ、「おぎのや」の峠の釜飯、「珈琲哲学」のコーヒー、「レストランシャクナゲ」の洋食、渋川市「永井食堂」のもつ煮、伊香保の水沢うどん(私は田丸屋派です)、「原嶋屋」の焼きまんじゅうなどなど、今でも懐かしく、また行きたくなる店ばかりです。
 群馬県に来たばかりのある日の夕方に、友人から「朝飯に行こう!」とメールがあり、朝ご飯のことかと思って何度か断っていたら、群馬県内では「朝飯(ちょうはん)」と読むらしく「朝鮮飯店で焼肉を食べに行こう」という意味だと知ってからは、朝鮮飯店で焼肉が一番のごちそうになりました。
 また、当時は碓氷峠を越えた所にあった軽井沢入口の料金所が撤廃され、軽井沢にも簡単にアクセスできることも魅力でした。頻繁に軽井沢の飲食店に出没していたため、お店の人から別荘に長期滞在している人だと勘違いされたり、この食べ歩きがご縁で軽井沢にある某チーズ工房の創業30周年パーティーに招待していただいたこともありました。

 高経大を卒業してからは地元茨城県に戻り、ホテル業の知識が全く無い状態で現在の勤務先である国民宿舎に採用されました。日々接遇や観光の知識などを学んでいくなかで、令和元年の「いばらき国体」開催にあたり、勤務先が天皇皇后両陛下のご昼食会場として指定され、なんと私が両陛下の担当に任命されてしまいました。目の前で両陛下か歓談されている場でおもてなしをさせていただいたことは、一生に一度の貴重な経験でした。

 たまたま「地域政策学部」の記事を目にして東京から群馬に引っ越し、全く勉強せずにバイトと食べ歩きだけして地元茨城県に戻り、偶然にも地域観光の拠点になっている宿泊施設に就職し、利用客の皆様に県内各地の観光スポットや地元の魅力を紹介することで、微力ながら地域振興の一翼を担っていることが仕事になっている。いつの間にか地域政策学部の設立理念のような業務をしていることに不思議なご縁を感じます。
 この随想を読んでくれている高経大卒の皆様も茨城県に来る機会がありましたら、宿泊先は日立市にあるウミウで有名な国民宿舎でお願いいたします(笑)

 結びに、この「偶然」と「ご縁」には、とびきりのエピソードがあります。前走者の塚本君から「後日、リレー随想について事務局から連絡がきます」とメールがあり、1月初旬に東京三扇会の事務局から寄稿依頼のメールがきました。
送り主の担当者は・・・なんと!高校の同級生ではありませんか!
「こんな偶然とご縁があるのか」と、驚くとともに、とても嬉しい気持ちになりました。

 さて、そろそろ次の走者にバトンをつなぎたいと思います。高経大在学中はサークル活動などもしていなかったため、大学内ではあまり居場所がありませんでした。そんな中で唯一落ち着ける場所がE.S.S.(英語研究部)の部室でした。授業の合間に部室でおしゃべりしたり、昼寝をしたり、試験情報をもらったり、大変お世話になりました。ちなみにE.S.S.には所属してません(笑)
そのE.S.S.でご縁をいただいた、入澤健太郎君にバトンを渡します。健太郎よろしくね!
(茨城県日立市在住)

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