リレー随想

2025/06/09
臨時号 2004年度卒 前田 竜徳
東京三扇会の初代 会長代行(兼 事務局長)を務められ、東京三扇会の活動に多大な尽力をされた朝村茂夫様(第8期生)が6月2日(月)午前6時頃にご逝去されました。
朝村様のご逝去に際し、お悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。

■思ひ出、独り言…
2008年の初め、旧・九段会館で開かれた東京三扇会の新年会、そこで朝村さんと初めて出会いました。社会という大人の世界から逃げ出すように飛び出し、自称「起業家」と名乗っていた25歳のボク。
そんな未熟で頼りないボクを、朝村さんは驚くほど穏やかに、幼少期から知っている親戚のおっちゃんかのように、あたたかく迎えてくれました。

その日から、阿佐ヶ谷に暮らす朝村さんと、中野に住むボクとの交流が始まりました。年齢差はおよそ40歳、3周り以上。
中小企業経営者であり、空手道場の館長でもある朝村さん。小僧でしかないボクのことを、なぜかいつも気にかけてくれて、「飯でも行こうか」と何度も何度も誘ってくれました。

はじめてふたりで出掛けたのは、中野にある古臭い中華屋さん。
昼間から入り浸った、中野駅南口の地下にある怪しげな焼肉屋。
「いい店、見つけましたよ」なんて私が得意げに誘った「第二力酒造」。
「たまにはこっちで」と連れて行ってくれた阿佐ヶ谷のラーメン屋。
表参道の洒落た自然派レストランで過ごした贅沢なランチ。
昼飲みの後にはいつも立ち寄った中野のルノアール。

そういえば、「事務局、僕が引き継ぎたいです」って打ち明けたのも、いつものルノアールでしたね。

思い出があふれるほどあります。
朝村さんは、何者でもなかったボクを「事務局長」へと育ててくれました。
その愛情と、静かな導きに、心の底から感謝しています。

朝村さん、本当にありがとうございました。
どうか、どうか、ゆっくりお休みください。

合掌。

東京三扇会事務局長 前田 竜徳(2004年卒)
2025/06/09
No.261 2025年5月号 1997年卒 早川 高史
【あの頃】

1997年春、高崎経済大学を卒業した私は、縁もゆかりもない札幌で新社会人のスタートを切りました。
はじめの1年は、仕事と言う仕事は特になく会社中になり響く固定電話を片っ端からいち早く取り先輩にお繋ぎすることぐらいでした。

朝会社に行き、たばこを吸い、お茶飲む。
タウンページを開いて上から順番に新規の広告を営業するアポ電話をし、1件もアポが取れないままランチを食べに行く。

午後デススクに戻り、タウンページを開き、上から順番に電話をし、広告のご用命を申し入れる。
しかしアポは1件も取れず。

夕方になると居酒屋ユックに支社長に誘われ、ヒメたらと冷やっこで日本酒を飲む。そして二日酔いで、次の朝を迎える。

アポイントの電話で、1番最初にお仕事をいただいたのは、札幌の中心部にある4丁目プラザに設置してある交通ビジョンに化粧品会社のCMを放送することでした。
初めて仕事をいただいたのが12月、放送開始が翌年の4月、まだ雪が残る4月の札幌の街中で交通ビジョンに映る化粧品会社のCMをしばらく立って見ていました。

あれから28年、本日この文章を札幌にて書いております。会社は変われど同じ広告業で仕事を続けて本日は出張で来ております。
4丁目プラザの近くのホテルに泊まりあの頃を思い出し、4丁目プラザを見に行きました。
もうあのビジョンはなく、建物もきれいに様変わりして時代が過ぎたなぁと思っております。

そして、本日の広告のお仕事のご用命を下さったお客様は、高崎経済大学の卒業生であります。お仕事を一緒に始めた時は、お互いに卒業した大学を知らず、先日話していましたら、なんとお互いに高崎経済大学の卒業生であることがわかり、2人で鳥肌が立ちました。

広告と言う仕事を28年にわたり続けられたことへの感謝。
札幌に降り立って、また広告の仕事に携われた感謝。
その中に高崎経済大学の卒業生がいらっしゃったご縁への感謝。
そんな感謝をいっぱいに抱きながら、あの頃を思い出しながら、この文章を札幌でかけていることに、またまた感謝したいと思います。
(神奈川県川崎市在住)

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