リレー随想
2017/09/21
No.176 2017年10月号 1982年卒 松島 賢
「わたしにとっての働き方改革」千葉県船橋市海神 松島 賢(群馬県伊勢崎市出身サッカー部)
皆さんの中で、バブル時代を体験し、大いに楽しまれた方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。寝ないで働きながらも時々深夜まで楽しく遊んだものです。逆にあまりにも激務で体調を崩し、嫌な思い出しかない人も多いのでは。さらにはバブルが弾けた後ひどい目に遭った方もさぞ沢山いるのではと思います。まさにブラックの極みでしたね。そんなことを全く知らない人達たちが、今まさに会社の原動力として、現場を動かしているのですね。
さて、皆さんの働いている職場でも「働き方改革」が大きく取り上げられたり、改革を急ピッチで進めたりと身近な言葉になって来ていますよね。
それに取り組んで、はたらく環境を整えることは、若手の方には、ごく普通に当然の流れでありますし、我々のようなベテランには何か少し甘いんじゃないかと感じている方もいると思います。考えてみれば昔からサラリーマン?いやOLは、9to5って言っていましたよね。でも日本のビジネスマンは植木等のころから、いやいや江戸時代の“奉公人”からで自分を殺して、身を粉にして働くのが美徳のようなことだったのかもしれませんね。リゲイン飲んで24時間働いていましたからね。
半年前は脱ブラック企業、残業をしないさせないなど時間を短縮することにだけが注目されていましたが、たった半年で本物の改革へ舵が切られてきている感じがします。
昔むかしその昔、私が入社したころの職場はどんなんだったでしょうか。
8:30の定時に兎に角間に合うように出社します。なぜか?タイムカードを押さないといけないからなのです。そして席について昨日吸った吸殻の入った灰皿を片づけて、お茶を入れデスクで新聞を読みタバコに火をつけ一服します(自席で普通に吸えました)。そしてラジオ体操、朝礼で3分間スピーチ、連絡事項。その後営業会議で業績確認と併せて叱咤激励?が飛ぶという毎日でした。
そして9時過ぎに当てもなく外出し、担当のお客様を回り(当然サボりもありました)、5時過ぎに帰社、日報を書いて退社となるところ、上司先輩が帰らないのでやることもないのに待機、当然、タイムカードは定時後に打刻済み。帰りは一杯引っかけ、駅売店で日刊ゲンダイか夕刊フジを買い家路につく。そんな付き合いのいい奴が可愛がられました。
毎朝必ず会社という場に行き、帰りもみんなで帰る的な集団行動でした。それが不都合になることはありませんでした。
中でも当時の銀行員は、朝7時前に出社して夜の10時、11時までが当たり前のような生活だったと聞いて、入れなくて良かったと胸を撫でおろしたものでした。でも銀行員は本当にそのくらい仕事が多かったんじゃないのでしょうか。経大OBには多くの金融マンがいますから当時のハードワークを聞いてみたいですね。
時間外労働もお金を払えば良いとかお金をいただけば良いということから、できるだけ時間外を減らして業務効率を上げるというものに代わって来ていますよね。企業によってはイノベーションを起こすための時間を創るというのも良く耳にします。
私が35年勤める岡村製作所は「オカムラ」の愛称で、オフィスつくりなどで多くの企業にご愛顧いただいておりますが、この働き方改革の大きなうねりに乗っています。改革の中軸には、人事制度など仕掛けがあり、効率化のためのシステム導入などICTの拡充、そして働く人たちにより高い能力を発揮してもらうための「場」であるオフィスの提供が私の仕事になっています。
多様性ということで、女、男、LGBT、外国人、若者、ベテラン、外交的な人、内向的な人などなど本当に多くのカテゴリーになります。そんな人たちが大勢でチームワークをする場や一人で籠って集中できる囲われた場、外を見ながら良い考えや創造を生む場、組織の方向を決める場など様々な“選べる場”など、そのお客様の企業文化や風土に合ったオフィスをつくっています。Googleやapple、Yahoo!など先進企業のオフィスはそんなつくりに近いものになっているのですよ。
人口が減る=仕事が少なくなるだろう業種は多いと思います。が、単純に数だけで片付けられないもの、例えばクルマは愛車、カメラは愛機などと呼ばれ特別な存在としている愛用者が沢山います。クルマもただの移動手段でないのですね。オフィスに愛があるかは分かりませんが、いろいろな出愛(出会い)があり、それが力になるという意味では、アイディアの宝庫として大きな価値を生むと思います。
定年延長の声もあちこちで上がって来ています。自分の仕事に誇りを持ち楽しく実力がいつまでも発揮できるようになりたいものです。
何もかもがめちゃくちゃだったあのバブル時代は結構楽しかったですね。そう思うのは若かったからかもしれません。今の若者たちにもそんなちょいとしたバブルを味あわせてあげたいと想う秋です。
次の方は、秋ということで、福島県出身 2007年3月卒業の秋山 貴士さんにお願いいたします。
2017/08/24
No.175 2017年9月号 1983年卒 練生川淳志
「育てたように育つ」サッカー部の後輩の新井和彦さんからバトンを受けまして175番目のランナーとして寄稿させていただきます。
私は、宮城県仙台市の出身です。試験は仙台で受けましたので、高崎に来たのは入学式の3日前でした。まさか群馬県の大学に入ることになろうとは思いもよりませんでしたが、大学卒業後も6年間高崎ビューホテルの営業として勤務させていただき、高崎市民の皆様には大変お世話になりました。大学から社会人と10年間暮らした高崎は、私にとって文字通り第2のふるさとです。特に青春時代という多感な時期を過ごしましたので、高崎での暮らしは大変刺激的でもあり、その後の私の人生に大きな影響を与えました。今でも高崎に参りますと心がときめくのは、自分の青春の心が湧き起こるからなのだと思います。
さて、私は大学卒業後、高崎ビューホテルで営業を6年、その後日本ビューホテル(ビューホテルグループの本部機構)で人事を6年経験した後に、外資系の生命保険会社であるアクサ生命に転職し営業マネージャーを13年間務め、10年前に生命保険代理店として独立しました。現在は主に中小オーナー企業をお客様とする生命保険の提案販売を行っています。
今回は、先般デンマークからの留学生と会話したことをお話しようと思います。デンマークはご承知の通り福祉先進国です。教育費と医療費は基本無償です。その代わり消費税は25%くらい取られます。それだけ取られても国民幸福度ランキングで、ノルウエーに次いで世界第2位(日本は51位)なのにはそれなりの理由がありそうです。
今回は教育費についてお話ししようと思います。彼はコペンハーゲン大学(日本の東大)の3年生でしたが、授業料はもちろん無償とのことでした。その上にデンマーク国から毎月8万3千円の給付型(返済不要)の奨学金を受給しているそうです。もちろん生活は楽ではありませんが、大学の寮で何とか暮らしていけるレベルだそうです。現在は日本に1年間の留学生として来日していますが、交換留学ですので授業料は引き続き無償であり、デンマーク国からの奨学金が継続給付され生活費に当てているとのことでした。日本への留学にあたって本人が負担したのは渡航費の数万円だけだそうです。
彼の話しでは、デンマークでは親は子供の教育費について負担するという考えは全くないそうです。また、子供は高校を卒業してからは生活面においても完全に自立するそうです。大学に行く者はデンマーク国から奨学金を受給しますので生活に困ることはありません。大学に行かず就業する者はもちろんその就業からの所得で生活をすることとなります。
つまり、家が貧乏だから大学に行けないとか、医学部に行けないとかといった理由が成り立たないとのことでした。誰でも努力をすれば医師にも弁護士にも大学の教授にもなれる可能性があるということでした。また、大学に進んだ者は国から給付型の奨学金を受けますので国家に対する感謝の気持ちがとても強いこともわかりました。
日本の教育の現状を考えた時に、今のままでいいのだろうかと思うのは私だけではないと思います。国の将来を担う有為な若者の教育のシステムにこれだけの差があれば自ずと結果も違ってくることでしょう。親が子供のために何でも負担する日本の教育システムは結果としてその子供をダメにしているのかもしれません。
「育てたように子は育つ」 この言葉を今、日本国民全員で考える時期なのかもしれません。
どうぞこれからの日本をよくするために意見交換なさってください。
さて、次のランナーは、私の尊敬するサッカー部の一年先輩である松島賢さんです。大学入学以来家族共々大変お世話になっております。現在は、オフィス家具メーカーのオカムラに勤務なさっています。
東京三扇会の皆様、オフィスの家具のご用命は是非オカムラの松島さんまでお願い致します。