リレー随想

2018/03/07
No.179 2018年3月号   2012年卒 木村絵美
179番目のランナーとなりました木村絵美と申します。今回は大学時代の先輩であるイケメン体育会系の神戸さんに紹介を頂きました。とてもいい機会をもらったので、文章を創るのにも不慣れなのですが、また女性の寄稿者さんも少ないのかなぁと思い、少し緊張した気持ちで、筆を執ることにしました。

「ビリギャル」という映画をご存じですか?もともとは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』という実話を映画化した話なんです。私の高校時代〜大学入学まではこの「ビリギャル」とほぼ一緒なんです。

小中時代は仙台市で指折り数えるほどのバトミントンプレーヤーだったのですが(自画自賛)、高校に入って周りの友達に流されるように、部活をやめて「ギャル」になってしまいました。ルーズソックス、厚化粧、プリクラなど典型的なギャルの道を突き進んでしまいましたが、このままじゃダメだと気づかせてくれたのは、生まれてからずっと変わらぬ姉妹と両親からの愛情だったと思います。
気づいてからは毎日長時間の勉強して、親に迷惑をかけることのないよう、あえて国公立の高崎経済大学を目指しました。受かったときには両親にこれでもかと褒めちぎられたことが本当にうれしかったのを記憶しています。

今、その高校受験の時に努力した時間以上に、「生命保険会社で営業」の仕事を一生懸命がんばっています。実は「営業」という職種自体が初めてで、当然辛いことも多いのですが、やりがいを感じながら日々を過ごしています。内勤の仕事とは違い、時間を自由に使えて、相手との親密度や距離感を自分でコントロールできるのは難しい面もありますが、もともと人との対話が好きな自分には向いているのかなと前向きに自己分析をしてみました。

東京で働くようになって早くも3年が経ちました。本当は地元仙台で両親のそばで働いて、地元で結婚して、孫の成長と親になった私の成長を両親に見守ってもらいたかったなんて思う時があります。バドミントンを辞めるときも、前の会社を辞めて東京に出たいと言ったときも、両親はどこか悲しげでしたが、温かい言葉をかけてくれました。漢字とはよくできたものだと感心しますが、私の両親は、とくに母親は、読んで字の如く、「木の上に立って見る」。陰ながら私のことを一番に応援してくれている、そんな母親でした。今の私が母の願うような娘になれているのかなと不安になりますが、わたしにとっては理想の母でした。私もいつかこんなふうに人を愛し、子を育て、子に愛される日がくるのかなとそんなことを思いながら、毎日満員電車に揺られています。

私が生命保険の販売という仕事に大きなやりがいを感じているのは、予期せぬ不幸なことがあった場合に、「愛する人達を守る」ためのお手伝いができることだと考えています。普段はあまり考えることがない、でも必ずみんなが持っている、両親、兄弟、旦那さん、奥さん、お子様、大切な家族への愛情を再確認できる時間を作れればと思っています。きれい事のように聞こえてしまうかもしれませんが、そのお手伝いをするために毎日たくさんの人と対話をして、大切な人をどうやって守りたいか話し合う中で、私らしく楽しく過ごしていきたいです。

最後だけ営業トークみたいになってしまい、文章も稚拙で何が言いたいかよくわかりませんが・・・最後までお読み頂き、ありがとうございました。

次回のランナーも神戸さんが紹介したいそうなので・・・私はこのへんで!
(東京都大田区在住、仙台市出身)

※写真は「大学時代の親友の子供と私」

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2018/01/29
No.178 2018年2月号   2010年卒 神戸武将
「正月から涙」

 思いの丈を口に出すことができずに、言葉につまる。目には涙を滲ませながら、「選手たちを褒めたい」とマイクで音を拾えないほどの声で、優勝監督インタビューに応じた。歴戦の猛将、高校サッカーを代表する指導者・山田耕介監督の「意外」な姿を新年早々に拝謁することができた。

 2018年1月8日、悪しき天気予報だったにも関わらず多くのOBが母校の晴れ姿を見るために埼玉スタジアムへと足を運んだ。
全く同じことを昨年もしているため、慣れたものである。しかし、前年は青森山田高校に0−5の大敗を喫し、「勝負弱い前橋育英」という揶揄が正しく思えた、最悪の年明けだったように記憶している。それでもあのようにそれぞれが違う人生を選択し、ばらばらの地で奮闘する同期、先輩、後輩たちがこうして正月に集まれるのも、現役高校生が「全国高校サッカー選手権」を勝ち上がってくれるからだと、感謝した。仲間の存在はかけがえのないもので、つらくも美しい青春を共に過ごした盟友たちと高笑いして近況を報告し合うことが何よりの楽しみであり、人生のスパイスになる。

 破竹の勢いで全国の強豪を勝ち破った今年の前橋育英高校サッカー部は、OBの私から見ても負ける気配が全くなかった。統率されたディフェンスライン、アイディア豊富な攻撃陣、息の合ったパスワーク、前線からのプレッシングとハードワーク、セカンドボールを拾うための攻守の切り替え。山田監督含む前橋育英サッカー部指導者の教えがこんなにも高い水準で表現できていたことに驚いた。
昨年とは違い、最高の年明けとなった今年は、会社や営業先で「おめでとう」というお祝いの言葉をたくさん頂戴した。OBというだけで、自分自身が何かを成し遂げたわけではないのに、自分のことのようでうれしかった。

 思い返せば、小学生の頃にサッカーを始めて以来、行きたい高校は「前橋育英」と最初から決めていたように記憶している。伝統の黄黒のユニフォームに袖を通して、Jリーガーへとステップアップすることが小学生の頃からの夢だった。サッカーが好きでたまらずに毎日ボールを蹴っていたあの日々が懐かしい。
前橋育英サッカー部に入部するも全国から集められた猛者たちの中では「違い」を持った選手になることはできずに、Cチーム、Bチームで過ごした時間が長かったことは今でも苦い思い出。無理を言って、私立に通わせてもらっている親に、高校時代は笑顔で会えなかった。少しでもうまくなりたい、山田監督に認められたい、試合に出たいと、全体練習後の自主練習をしたあの日、あの時が、今も私の礎であるように思う。山田監督の涙を見て、つい自分の高校時代を重ね合わせてしまい、私も泣いてしまった。この原稿を書きながらも、もう一度泣いている。白と黒で縫ってある丸い球を蹴っ飛ばすことから始まったこの人生は、なかなか悪くない。前橋育英サッカー部に入ってよかった。最高の仲間と磨き合い、最高の指導者から薫陶を受けた。そして、それらを支えて、見守ってくれた親への感謝が溢れる。

 高崎経済大学には推薦で進学できた。すでに「サッカー選手」の夢は諦めていて、将来なんとなく会社員になって企業という監獄で一生飼い殺されるか、先生にでもなって部活動でサッカーを教えてみようか、など簡単に人生を考えていた。「努力」「仲間」の大切さは少年ジャンプと前橋育英サッカー部で十分すぎるほど学んだから、大学では適当に遊んで過ごそうと思った。そんな思いとは裏腹に、大学でもそれはそれで濃密な、前橋育英サッカー部を凌駕するほどの日々があり、今の自分、現在就職している会社へも繋がっていくのだが・・・・・長くなるのでこのへんで。

 次回のランナーは2012年卒業、私の2歳下、仙台出身、高経出身、現在は東京で、獅子奮迅の活躍をしているライフプランナー、木村絵美さんをご紹介いたします。
彼女の話を聞いて「保険」の考え方がぐるり、360度変わりました!
乞うご期待!
(東京都板橋区在住)

※写真 黄色と黒のユニフォーム、帽子着用が筆者

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