人間万事塞翁が馬
                                       1992年卒 新井和彦

 残暑お見舞い申し上げます。暑い日が続きますが皆さまお元気でお過ごしでしょうか。 さて、174番目のランナーとして寄稿いたします1992年卒 新井和彦です。 現在私は東京都内の金融機関(リース会社)に勤める傍ら、東京三扇会にて広報を担当し、今年から本リレー随想コーナーの世話人を仰せつかっております。しかし5年前に今の自分を予想出来たかといえば全くそんなことはなく、言い換えれば5年後の自分についても予想できません。 地域限定正社員等働き方が多様化してきた昨今では少なくなりつつあるのかも知れませんが、所謂転勤族として各地を渡り歩いた私自身をせっかくの機会なので振り返り、今後のためにも整理してみたいと思います。


 出身は地元群馬県藤岡市。大学の頃はクラブ(体育会サッカー部)活動、アルバイト中心。後から思えば当時はバブル真っ盛りで非常に怠惰な生活を送っていたと反省することしきり。唯一勉強で頑張ったゼミ(茂木一之先生の日本的経営論)にしても記憶にあるのは泊りで行った卒論合宿(猿ヶ京のコープシャトー)での徹夜の宴会といった有様。 それでも就職活動はバブル崩壊直前でまだまだ売り手市場だったため比較的順調に今の会社に決定(今思えば、もっと色々な業界や会社を見ておけば良かったと思うが)。
 
 最初の勤務地は、東京・渋谷、高崎をはるかに超える人の多さ、(車での学生生活から)満員電車の凄まじい混雑に戸惑いながらも6年間法人営業活動に従事。地域柄ファッション業界への接点が多く、流行に敏感だった頃を思い出す。金融機関としては柔らかい業界で審査が非常に難航した記憶と回収にも苦労した記憶がある。
 次の地は宇都宮。宇都宮では栃木県全県と一部群馬県東部を担当したが、一転して自動車、電機、食品といった大手メーカーの下請製造業者との取引が多かった。
 続いて名古屋。名古屋では主に東海三県(愛知、岐阜、三重)の建設業界に携わり、土日に拘わらず建設機械メーカーの展示会を訪れる等仕事にどっぷり浸かっていた。名古屋という個性的でコンパクトな都市で子供の入学、入園等のイベントもあり6年程度だったが公私において非常に濃い時期を過ごさせてもらった。
 その後一旦東京に戻り営業の本部で2年強勤めたのち、松本に異動。松本は責任者として2年間勤務したが、少人数の営業所だったためマネジメント含めて何でも自分でやった。初めての単身赴任に苦労しながらも風光明媚な信州の地を楽しんだ。
 そして2011年に東京に戻り、初めての非営業職として人事部に勤務、新卒採用や人事評価、勤務制度改革、労使協議などに従事したのち、2015年から再度営業現場(本社にて)に復帰し今に至っている。 こうして振り返ると、勤める会社は変わっていないのだが色々な場所で色々な経験をさせていただいている。勤務先が変わっていないこともこの激動の時代に幸運といえるだろう。各地で縁あって一緒に過ごさせていただいた方々に感謝である。

 現在はというと、振り返ったように東京で勤務した期間が短く、SNS等の情報ツールもなかったことから大学時代の仲間とのつながりは極めて狭い範囲だったが、2013年頃だったかサッカー部のある先輩から東京三扇会に誘っていただいた。またサッカー部のOB会にも関与することとなる。
 会社、地域、大学時代、その他、おかげさまで最近は子供も成長したこともあり、図らずも所属するコミュニティが増えて忙しい日々を過ごしている。 2020年は東京オリンピックが開催される。その時自分はもしかしたら東京にいないのではないかと思うこともあるが、いずれにしても「流されるもの」「流されないもの」を見極めてこれからも今以上に経験値を高めていきたいと考えている。


 さて次のランナーとして、今の私の立ち位置に影響を与えた先輩を推薦します。年が離れているので大学時代は重なっておらず、むしろサッカー部の歴代「怖い先輩」のひとりだったのですが、今は大変お世話になっており感謝しています。                                       
                                               以上