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                           2003卒  神尾 晃平
「学生時代に打ち込んだことについて」

 私は、今年30歳になった。大学を卒業して9年が経とうとしている。最近は、仕事やプライベートに忙殺されているため、学生時代を顧みる余裕がなかった。今回、部活の同期から唐突に「リレー随想を書いてみないか」という打診があった。私は、特に深く考えることなく、その打診を受けた。しかしいざ書こうとするとなかなか筆が進まない。そこで通勤途中や仕事の休憩中に何を書くべきか思い巡らすことにした。すると学生時代の記憶が次第に蘇ってきた。
 私の学生時代は、ワンダーフォーゲル部の活動に特に打ち込んだ。当時、私は「山があれば何もいらない」、「三度のメシよりも山が好き」と言っていた。社会人になっても赴任地の近くにある山をよく登った。結婚のプロポーズは、山の頂上で行った。最近は、子供が産まれ、週末は子供との時間を大切にしようと心掛けているため全く山に登っていない。しかし学生時代と比べ体重が20kgも増えBMIも急上昇となっていることを理由に、ダイエットを大義名分にして登山に行こうとたくらんでいるところである。
 さて、当時のワンダーフォーゲル部の活動は、月、火、木、金、土の週5日で、各日1時間30分程度の筋力トレーニングとマラソン、春から秋にかけて年5回ほどの登山を行っていた。登山は、あらかじめ決めた山域を3泊〜6泊の行程で行い、6人くらいのパーティーを組み、宿泊はテント泊である。食事は、下界から持ってきた食材をメンバーが調理したものである。そのため、一人の荷物量は30kgを超える。30kgを超える荷物の入ったザックを背負いながら3,000m級の山々を登るのである。
 登っているときは、メンバー全員が辛い。登って下ってまた登っての繰り返し、ザックの重みが肩や背中に食い込む、足にまめができる、体力の消耗が激しい、風雨や季節外れの雪に遭う、等々。私も含め登っている途中で引き返したくなる気持ちになるメンバーもいた。私は、その辛さを紛らわせるためにメンバーに冗談を吹っかけてパーティーの士気を高め、楽しく安全に登ろうと心掛けた。そうしているとあっという間に頂上に辿りついた。頂上に立った瞬間、これまでの行程が辛かったことなど一瞬にして忘れることができた。頂上に立った時の眼前に広がる景色に心を打たれ、また登り切ったという達成感がとても気持ち良かった。夜のテントの中では、いつもメンバーで恋バナや暴露話に花が咲いた。下山後は、下山口付近の温泉に入った。高崎への帰路、登山の行程を思い出し、辛かったけどまた登りたいという思いや良い思い出や経験を獲得したという思いを胸に電車に揺られていた。高崎に着くと合宿の打ち上げで焼肉をたらふく食べた。
 ワンダーフォーゲル部の活動を通じて自分なりに学んだことは、今置かれている状況が辛くてもその場をいかに楽しんで乗り切ろうと心掛ければ、いつかはその辛さから解放され良き思い出や経験を獲得するということだ。少なくとも乗り切らないことには良き思い出や経験を獲得できないし、嫌なことから逃げてばかりでは良き思い出や経験を獲得できないということだ。
 社会人生活を続けていると仕事がうまくいかなくて投げやりになってしまいそうになることもある。仕事の先が見えず不安に陥ることもある。毎晩深夜まで働くと気が滅入ることもある。今後もそのような場面に多々遭遇するであろう。そのような時にワンダーフォーグル部の活動で自分なりに学んだことを思い出したい。
最後にリレー随想を執筆したことを機に学生時代を振り返りつつ学生時代の同期や先輩、後輩との旧交を温めていきたい。