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【予期せぬ出来事】
                                      横堀 明(1973年卒)

 全く予期せぬのに、「リレー随想」が回ってきた。年も押し詰まったこの時期にだ。
前回の幹事会終了時、北島先輩(1969卒)が確かにそれらしきことをおっしゃっていたようだったが、「人ごと」と軽く受け流していたら、数日後メールで正式依頼が届いた。慌てて「当方、この時期なにかと多忙なので今回はご容赦願いたい」旨の電話をしたところ、全く交渉能力の無い気の弱い小生と、海千山千・百戦錬磨の交渉術に長けた北島先輩とではまず勝負にならなかった。結局、「はい分かりました・・・」となってしまった次第。
 これって、同期、先輩、後輩の知人間でバトンタッチも軽やかに、気楽に気軽にリレーして近況を報告し合うものですよね?でもいざ実際に回ってきたら、まるで「不幸の手紙?」を受け取ってしまったような気持ち。まったく「気楽に気軽に」ではない。「かっこいい、含蓄ある発言をしなければならない」とか、「ともかくなんでもいいから落書きして早く責任転嫁しちまえ」とか、心の葛藤はすさまじいもの。
そこで小生はまず今までどんな傾向の発言が多かったのか、どのへんの年次が回していたのかを分析することとした。
 そうすると小生の前の77名の卒年は、60年代が2名、80年代が26名、90年代が17名、2000年代が32名という結果だ。それに「発言の場を頂いて感謝」というようなお行儀の良い人ばかり。
若い人のネットワークパワーは素晴らしい!
 60年代、70年代はどうしちゃったのか?友人のいない孤独な中年・老人ばかりなのか?
こういう現実を認識してしまうと、「ここは踏ん張って年寄りの友達の輪に引き戻さなければならない!」と、俄然元気も出てきてしまう。でも誰に回したらいいの?・・・・小生も結局孤独な中年。それにまた「不幸の手紙?が来た」と憂鬱になる人を増やすのも心苦しい気がしないでもない。そんなことを悶々と考え、書き綴っていたら自分の近況を書くスペースがなくなってしまった。でも今回はスンマセンがこれで早く回してしまおうかな?ダラダラ長文をしたためても誰も読まないだろうし・・・
 要は、「あまりかしこまらずに途切れることなく、いろんな方々が果てしなく登場すること」に意味があるんですよね?ということで、今回は「マラソンの給水所、リレー随想のコーヒーブレイクタイム」的な役目を勝手に引き受けまして、次回は同じ73年の永山さんにお願いします。よろしく