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【やっぱ、学祭かなあ】
                     1991年卒 竹田紳二 群馬
 太田先輩からご指名を受けました、竹田と申します。いやあ〜、確かに学生時代は良く飲みました。それに自分は柳川町の近くに下宿していたこともあり、飲み会のたびにダウンした人が一人、二人と担ぎこまれ、最後は雑魚寝状態なんてしょっちゅうでした。酔って担ぎ込まれた某先輩に髪の毛を引き回された上に、顔面に蹴りを食らったことも今となればなつかしい思い出です。別に当時から怨んだりしたことはありませんが・・・ホント(笑)

 しかし、学生時代って勉強したことは全然記憶にないのに、飲んだことやバイトのことや遊んだことは妙に記憶に新しいのは自分だけでしょうか。

 そして、自分にとって強烈なインパクトのある出来事は、やっぱ、2年の時の学祭ですね。

 経理研の学祭担当になってしまった自分は、単純に「成功させなければ」「打ち上げの資金を作らねば」の義務感だけで模擬店の出し物を「カレー」に決定したのですが、これが悲劇の始まりでした。結果は・・・大成功だったのでしょう・・・カレーは飛ぶように売れました。そして自分は、期間中、朝から晩まで下宿でカレーを作り続けました。カレーを煮込みながらウトウト・・・ふっと目覚めて、カレーの臭いの充満する部屋で「作っても作ってもたらん・・」

と一人つぶやいたのを忘れません。

 それと、恒例のみこしパレードでも言わなきゃいいのに「ただ神輿を担いでもつまらんから、仮装でもしよう」と調子に乗って「Aはバカボンのパパになってね」「Bはレレレのおじさんね」と指名していると「竹田君がブラックデビルをやるのなら・・・」の声。背中にヒヤッとしたものが走るのを覚えました。

でも、言いだしっぺで引き下がるのわけにも行かず、当日は黒いタイツに身をまとい真っ赤な口をしたブラックデビルの登場となったわけです。しかし、学祭が近づくにつれて楽しそうに衣装を製作する女の子とは裏腹に、どんどん気分が重たくなって行ったのが昨日の事のようです。ただ、私の気まぐれな一言で、期せずして、「バカボンのパパ」「レレレのおじさん」等をやらされる運命に陥った人たちの心中は察するに余りあります。ゴメンナサイ!

 あっと、大事な人を忘れてました。

私の前に随想を書かれた某先輩に「鬼瓦権三」を快く引き受けていただいたことは、今も感謝の念でいっぱいです。アリガトウございました。心の中はきっと「冗談じゃないよ。」と憤っておられたことと察するに余りあります。あの、防寒服はまだ愛用されてますか?

 学祭後の打ち上げがパーっともりあがったのは言うまでもありません。かくいう私も1次会途中リタイアという屈辱はこの時と1年の新歓だけでした。でも、この時はさすがに1次会で「華々しく散ってやる〜」の意気込みではじめたのと、連日の疲労と寝不足で1時間くらいで飛んでしまったように記憶しています。諸先輩方、ご迷惑をおかけしました。

 卒業後はしばらくなにかかにかと理由をつけては集まって飲んでいた私たちも、最近ではとんと集まる機会もありません。自分を含め皆、仕事や家庭と自由の利かない身になっているのだから仕方のないことなのですが・・・。でも、結婚式なんて理由があれば大手を振って集まれます。幸か不幸かまだその可能性を秘めた人間が若干名残っています。お〜い、早くみんなが集まれるようにしておくれ!秋田でも前橋でもどこでも良いよ。

失礼しました。

 さて、次は福島重子さんにズームインです。