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【忘れられない高崎の味】
                1989年卒業 太田 亮一(神奈川)
  3月担当の長井君から指名を受けました太田亮一です。在学時代は経理研究部、山浦瑛子ゼミ、 中国語クラスに籍をおいておりました。卒業してからこの3月で満15年が経ち、すっかり親父 になりましたが、私は当時から老け顔だったので、今では年齢より若く見られることもしばしば です。群馬を離れて久しいですが、女房(旧姓新井・・・経理研、同年卒業)が生粋の群馬県人である事から、子供たちは「おこんじょする」(意地悪するの意)などと、時おり群馬弁を話します。現在は某金融機関に所属しつつ、川崎市に在るメーカーに勤務しておりますが、家庭内では引き続き群馬の雰囲気を味わっております。
  15年経ったとは言うものの高崎での4年間は、不思議なほど良く覚えています。本当にあの頃は良かったですね。皆さんはどんな時に学生時代を思い浮かべますか?私はなんといっても、飲み屋にいる時です。  この15年間に、延べ千回以上は飲み屋に行っているはずのノンベイですが、一番の飲み屋を挙げろと言われれば、迷わず「荒磯」と答えます。マスター、奥さんはお元気でしょうか。未だに「荒磯」以上のお店が見つからず懐かしさがつのるばかりです。
 私が入学した当時は並榎街道にあり、下宿していた部屋から徒歩1分のところにありました。お世辞にもきれいなお店ではありませんでしたが、その雰囲気がたまらなく好きでした。注文は大体いつも同じ。もつ煮、ブリカマ、つくね、焼き鳥、げそ揚げ、生やさい、揚げだし豆腐・・・特に私が今でもその呪縛から逃れられないのが、「もつ煮」です。卒業後、数々の居酒屋で「もつ煮」と名のつく物を食しましたが、何かが違います。その名の通り、もつが主体で他の具はあまり入っていないのも特徴で、未だにここを超える「もつ煮」には出会えていません。絶品でした。卒業時にマスターに作り方を教えて頂くことができたので(秘伝だからとかけちな事は一切言わず、気持ち良く教えて下さいました)、その後何度も自宅で作っておりますが、とうてい本物にはかなわず、かえって思いが募る結果になる事しばしばです。
  学生時代は金が無く焼酎を良く飲んでいましたが、「荒磯」には日本酒が良く合いました。当時は、今のように吟醸酒などはありませんでしたが、「荒磯」には昔ながらの「地酒」が良く合いました。先月の執筆者である長井君から、「群馬に来たら、群馬の酒を飲まなければダメだ」と、入学早々怒られた事にも影響され、「利根錦」「箕輪城」などを良く飲んでいたものです。
 4〜5時間(当時は当たり前のように飲んでいた)以上も飲んでいると、腹も減ります。最後に「から磯鍋」(高崎の寒い冬を締めるのに絶品)か焼きおにぎり、お茶づけなどを食べて、飲み会は無事(?)終了です。本当に幸せな時でした。
 「高崎にはうまい名物が少ない」と良く言われますが、私には高崎に忘れられない味「荒磯」があると胸を張って自慢しています。もっとも、気の置けない友人達と腹を割って飲んでいた状況が、より一層高崎の味を引き立ててくれていたのかもしれませんね。 今ではすっかりおじさんになりましたが、これからも、あの頃の「恐れを知らない、真っ直ぐで前向きな気持ち」を忘れないためにも、時おり「もつ煮」作りに挑戦しようと思います。
 さて来月は、荒磯でも下宿でも良く飲み明し、酒だけでなく前橋競輪もこよなく愛し、愛媛県出身ながらも、ついには群馬に永住を決めてしまった竹田紳二君に登場願います。