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【やっぱり阪神タイガース 】
1986年卒業 泉谷 武史
お盆前のある夜、福井勤務時代に仕事でお世話になった1期下の中村君から「高経大
の同窓会のリレーエッセイの原稿をお願いしたい。」との1本の電話から文章書きの
苦手な私の苦悩の1ヶ月が始まりました。「どんなことでも構わないので気軽に書い
てください!」とのアドバイスを受けたもののテーマが浮かばず、どうしたものかと
悩んでいると目に入ったスポーツ新聞の一面が阪神タイガースだったのでこのような
安易なお題になってしまったことをご容赦願いたい。(とはいうものの大阪のスポー
ツ紙の一面は余程のことがない限りタイガースなんですけどね。)
18年ぶりに我が阪神タイガースはセントラルリーグを最後はモタモタしましたが
結果ぶっち切りで優勝しました。前回の優勝が大学4年の1985年。21年ぶりの
リーグ優勝。そして初めての日本一。高崎のボロアパートの一室でリーグ優勝に涙し
、日本シリーズは当時の西武所沢球場まで第1戦・第2戦と通い、星条旗をレフトス
タンドで振っていました。それ以来の悲願の優勝です。大阪で生まれ育った私にとっ
て幼い頃は巨人全盛の時代にあってもやはり野球は阪神タイガースでした。万年2位
(いつも2位だったわけではありませんがいつも巨人の下)のタイガースを応援する
ことは一種の病気みたいなもので毎年夏頃までは期待するものの結果は期待通りとい
うか優勝とはかけ離れたところにいるのがタイガースでした。1999年にあの野村
克也氏を迎えても浮上することのなかったタイガースがミスタードラゴンズ星野仙一
氏を監督に迎えて僅か2年でリーグ制覇を成し遂げることになるとは未だに信じられ
ない思いです。1年目の昨年、サッカーのワールドカップが始まるまでは快進撃を続
けたタイガースでしたが以降、春先の勢いはなくなりBクラスの4位。「星野さんで
も4位か。でも2ヶ月は夢を見させてもらったから。」というのが偽らざるファンの
気持ちでした。でも今年はどうでしょう?開幕戦は後の上得意先になる横浜に負けて
から対横浜戦は16連勝。一度首位に立ってからは一度も落ちることなく7月8日に
はリーグ最速のマジックを点灯させ、夏場のロードは4勝11敗と大きく負け越しな
がらも他球団の星の潰し合いに助けられ無事9月15日を迎えることが出来ました。
マジック点灯以降、「マジックは消えるものだから、そのうち消えて落ちていくわ。」
「そんなん今年優勝なんかしたらあかん。まだまだや。」というのが悲しいかなタイ
ガースファンの悲しい性というべきものなのでしょうか、うれしい反面、どこか期待
を裏切ることを楽しんでいるようなそんなファン心理の2ヶ月半でした。 でもこうし
て無事ゴールテープを切ることができ、パシフィック・リーグの相手も 福岡ダイエ
ーホークスで決まりそうで関西のチーム同志で日本シリーズを戦えるこ とはとても
楽しみです。
18年前は高崎に住んでいてリーグ優勝を決めたのは神宮球場で日本一は所沢球場で
した。今年は運良く大阪に住んでいながら優勝も甲子園で決めたのにその日に限って
出張で四国の松山で優勝を知る始末。ずっとずっとタイガースファンなのになんとタ
イミングの悪い人間なのかと思います。追いかけても追いかけても逃げられる恋愛の
ようなものですね。ちょうどこの原稿を書いているときにジャイアンツの原監督が辞
任するというニュースが入ってきました。就任1年目で優勝しましたが今年はタイガ
ースの独走を許した責任を取って任期を1年残しての辞任とのこと。タイガースファ
ンとしても寂しい話です。優勝して翌年4位でクビなんて、タイガースの監督だった
らどうなってしまうんでしょうね。そんなことを思いつつ、次の優勝はまた何年も待
たされることになると思いますが次はどこに住んでいようと目の前での胴上げをこの
目で確かめたいと決意を新たにしつつ今回はこの辺りでペンを置きたいと思います。
次回は、根っからの巨人ファンで同じゼミで勉学に励み?また前ランナーの中村誠君
の経理研の先輩でもある山形県在住の江口理博さんにバトンをお渡しします。